僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

イヌは歩かなければ棒にも当たらん

飲酒歴40年、断酒歴8年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、諺には確かに一面の真理が・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

昭和的な会社人間を始めとする、

何らかの組織への所属を自らのアイデンティティーの根幹としていた人たちが、

退職後、数年を置かずして、見るも哀れな落ちぶれ方をしてしまう事例が、

ネット情報を始めとする多くのメディアで紹介されています。

 

組織に守られてきた個人は、組織を離れたとたんに自らの拠り所を失い、

周囲との軋轢にまみれたり、自暴自棄な行動に走ったりすることがあるようで、

そのような人たちの中からかつての僕たちのような、

アルコール使用障害当事者が現れ、

悲惨な最期を迎えることになるのでしょう。

 

「犬も歩けば棒に当たる」

正直言って、こどものころはこの諺が示唆している内容が見当もつきませんでした。

でも定年退職を迎え、公的な組織への帰属を止め(させられ)た今、

割とズチズチと刺さる言葉であることを実感しています。

 

今日も頼まれて、とある京都のライブハウスのオープンマイク企画の、

ハウスバンド・ピアニストを勤めてきましたが、

大学に勤めていた頃とは全く違う人びととの出会い満載のイベントでした。

 

 

今日、出会えた人たちとこれからどんな交流ができるのか、未知数です。

もしかすると必ずしも良い出会いばかりではないかもしれません。

でも、いろいろと動いてみないことには、

そもそも出会うことすらありません。

動き回ればよいというものではないでしょうが、

動き回らないことには、何も始まらないのです。

 

動き回り、出会いを楽しむことも、断酒ライフの大いなるご褒美でしょう。

 

何ぼなんでもねぇ~

飲酒歴40年、断酒歴8年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、これは何ぼなんでもねぇ~・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

いきなりコピペです、スンマセン。

 

日本ヤマタカラゆうパックのお届け予定をお知らせします。

【お会け予定日】4月11日(日)

【お会け予定时间帯】时间帯指定なし【お荷物追踪番号】

【お荷物确认状况】荷物をご确认います

【お荷物受取期限】4月11日(月)23:59迄<ご注意>

 

*このはお荷物の配送ががし方方にヤマト株式株式株式会社会社会社がが配信ししててます。。* * *お心辺り

*新型感染の影响による航空航空の等等に,​​日日日时时时やや,変更変更のの申し込みをを顶い顶い顶いたお届け

---------------------------------------------- ------------------------------

 

配信元:ヤマタ运输株式会社

版权所有© YAMATO HOLDINGS CO., LTD. 版权所有。

【国际急便ニツイテ】
国际急便saーbisusentaー:0120-5931-69
(受付时间:9时~18时、年中无休)

UPSWールドウイド・エクスプレス・ズイバー(WWX)ニツイテ】
ユーピーエス・ジュパン株式会社:0120-74-2877
(受付时间:9时~18时30分、土日祝日除く)

 

今日、届いていたメールです。

 

「日本ヤマタカラ」

ヤマタカラ? 多分「ヤマダから」のつもりなんでしょうね。

 

「お会け予定日」

何て読むんでしょう?

 

「【お荷物确认状况】荷物をご确认います」

これも読めません。

 

「*このはお荷物の配送ががし方方にヤマト株式株式株式会社会社会社がが配信ししててます。。* * *お心辺り」

日本語のつもりなんでしょうかね。

 

「*新型感染の影响による航空航空の等等に,​​日日日时时时やや変更変更のの申し込みをを顶い顶い顶いたお届け」

簡体字なんでしょうか、それから何でこんなに繰り返すんでしょう?

 

「国际急便saーbisusentaー」

サービスセンターでしょうね、きっと。

 

怪しい中国人が作成した、ムチャムチャ、レベルの低いスパムメールでしょう、きっと。

しかしなんぼ何でも、ひどすぎますよねぇ。

ナメられたもんです、日本人も。

ここまでヒドイと、開封した途端に笑うしかありませんが、

ホンマに中国人が作ったものだとしたら、

中国四千年の歴史が笑いますよね。

 

もちろん、こんなアホスパムに騙される方はいらっしゃらないと思いますが、

ネットには悪意しかない輩もいるということを改めて確認しました。

みなさん、気をつけましょうね。

 

 

多分、僕の偏見?

飲酒歴40年、断酒歴8年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、へそが曲がってます・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

みなさん、野球、好きですか?

 

僕は時々、ここでも告白していますが、

幼いころから肩の関節が異常に硬く、そのためボール投げが絶望的に苦手だったため、

プレイするスポーツとしての野球やソフトボールには、あまりいい思いがありません。

 

観戦するスポーツとしての野球ですが、

多分、プロ野球は球場に足を運んでみる分には、それなりに楽しめると思いますが、

テレビ中継等で長々と眺めようとは思いません。

タイガースの戦績は気にはなりますが、気になるだけです。

 

そういう訳で、僕は野球にはそれほど関心がありません。

まして大リーグの野球となりますと、

一層、興味がありません。

 

ですので、ここのところの大谷フィーバーに対しては、

かなりの違和感を感じています。

 

プレイヤーとしての大谷がすげぇやつだっていうのは、

何となく分かります。

今年は休業中ですが、バッターとピッチャーの二刀流というのが、

とんでもない挑戦であるというのも、分からなくもない。

 

 

でも、大谷が出場している試合をわざわざテレビ中継するのは、どうなんだろうと思ってしまいます。

アメリカの野球ですよね、ドジャースの試合って。

 

僕よりも人生経験の豊富なジャズ友に、僕の疑問をぶつけてみたところ、

マスコミが大谷の一挙一動に大騒ぎするのは、

そうすることによって数字が稼げるからだそうです。

テレビでいえば、ドジャース戦を中継すれば視聴率が上がる、

雑誌等の印刷媒体においても、大谷を取り上げれば売り上げが期待できる、

そういうことだそうです。

 

でもこの構造、どっから始まっているの?という、ニワトリとタマゴ問題が含まれてますよね。

人びとが大谷に注目するからマスコミがそこに便乗するのか、

マスコミがしつこく報道するから人びとが関心を深めるのか。

どっちが先ですか。

 

どっちが先なのかはよく分かりませんが、

しかし、へそ曲がりのディアスポラである僕にとっては、

自分の価値観で判断をすることを放棄しがちな、

ニッポン人ならではの独自の社会行動に思えてなりません。

 

自らの感性や価値観で判断することよりも、

周囲の空気という得体の知れない感覚に押しつぶされながら行動するこの国の人びと。

 

僕は幼いころから、日本の大人たちがこどもに押し付ける気色の悪い躾に対して、

嫌悪感を感じてきました。

その結果、こんな大人が出来上がってしまいました。

 

でも今さら矯正?は不可能でしょう。

僕は死ぬまで、へそをひん曲げたまま、楽しく生きていきます。

スンマセン、今日は独断と偏見のディスり・ブログでした。

 

 

今日も課題発見

飲酒歴40年、断酒歴8年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、修行に終わりはありません・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

金、土、日と3日間で6回の演奏経験、

何とかこなしました。

昨日も報告しましたが、

演奏そのものもそれなりに負担になったのでしょうが、

多分、それ以上に、自力運転による移動が疲労の最大の要因だと思います。

 

今日の演奏予定の一つ目は、

愛荘町にある愛知川図書館でのボランティアBGM演奏でした。

ここでの演奏は、

サックスの Y さんとのデュオはこれまで4回ほど経験していますが、

今日は、僕一人、ソロピアノによるパフォーマンスでした。

 

ここでの今日のボランティア演奏は、僕にとって二つの意味で、チャレンジングです。

一つは、図書館という本来は静寂な環境が望ましい場所での演奏です。

そしてもう一つは、僕のピアノだけでの演奏ということです。

 

 

BGM をライブで提供するというパフォーマンス、

深く考えると、いろいろと矛盾もはらんだ、難しい問題を提起します。

音楽である以上、聴いている人、あるいは聴こえている人に対して、

不快な音響を提供するわけにはいきません。

しかしそれと同時に、

読書や選書といった気持ちの集中が必要な行為を阻害するような音響も望ましくありません。

兼ね合いというか、バランス感覚のようなものが重要な意味をもつことになりそうです。

 

そしてピアノだけでの演奏、これもジャズにとってはいろいろと難しい課題を提起します。

ピアノソロによるジャズって、案外、少ないんですよね。

 

僕は歌も歌いますが、

先ほどの BGM としての音響提供という点からは、

メッセージ性をもってしまいがちな歌詞を伴う歌唱という表現は、

不適切な場合が少なくないでしょう。

ですので、ここでの演奏では、歌は封印しています。

 

今日は楽譜も開けず、1時間強の演奏を披露しましたが、

どうしても音数が多くなり過ぎました。

常にある程度の厚みのある音を出していないと、不安になります。

しかし、音の厚みは、必要十分な量を超えてしまうと、

途端にセンスの乏しい、くさい演奏になってしまいます。

できる限り音数を少なくし、

しかも耳障りもある程度考慮したうえで、

音楽を創造すること、

これは意外にも難問でした。

 

少ない音数で充実した音世界を作りつつ、

図書館という空間に必要な音響条件をクリアーすること、

ずばり、難問です。

でも多分僕は、根っからの M 体質なんでしょうね、

この難問に対して、とにかく地道な練習の積み重ねの中で、

僕なりの解決を目指そうと燃えています。

 

相変わらず、厚かましく前向きで生きています。

断酒ライフのおかげであることは、言うまでもありません。

 

 

中日(なかび)の疲労

飲酒歴40年、断酒歴8年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、無事を祝おう・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今、ムッチャ疲れています。

いつものように車で帰ってきたところですが、

まずは居眠り運転をせずに帰ってこれたことを悦びたいと思います。

 

何でこんなに疲れているかというと、

昨日、今日、そして明日の3日間で、合計6本の演奏関係の活動予定を入れており、

今日まででそのうちの4本を消化、

そしてそれぞれの活動の前後には、少しばかりの長距離ドライブが伴ったからです。

 

スケジュール上では、僕が望んでいた生活スタイルになりつつあります。

音楽を生活の柱に据えること、

多くの人に聴いてもらうこと、

そして額の多寡はどうあれ、

それらの活動から収入が得られること。

 

昨日はとあるライブハウスのハウスバンドのキーボード弾き、

今日の午前中は、琵琶湖の反対側にあるとある図書館でのボランティア演奏、

午後からはまずはジャズハウスでのジャムセッション・ホスト、

そして夕刻からはカジュアルレストランでのポップスセッションのホスト。

 

僕にとっては、それぞれの演奏活動に意味や課題があります。

何となくのんべんだらりとやっている活動はありません。

ですので、今、くたくたです。

 

明日も午後一と夕刻の2回の演奏活動が予定されています。

多分、今、疲労のピークにあると思いますが、

明日の朝はゆっくりできるので、

しっかりと回復できる予定です。

 

Viva! My brand new life

 

 

夜の銀狐

飲酒歴40年、断酒歴8年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、経験値モンスター・ピアニスト・ノープラン・ブログ、

ご訪問ありがとうございます。

 

また、投稿が夜中の12時を超えてしまいました。

もう、すでに4月20日、でも本来は?4月19日分の投稿ブログです。

4月19日は、僕にとって断酒歴がまた1カ月延びた、月令記念日です。

8年と3カ月、日数にして3019日、今日もまた一里塚を一つ、越えました。

 

なぜ投稿が夜中の12時を回ったかというと、帰宅が遅かったからです。

なぜ帰宅が遅かったからかというと、

今日も音楽活動をしてきたからです。

今日は、京都は嵯峨にある、ライブハウスのようなカラオケパブのようなお店での、

オープンマイク・イベントのバックバンドのピアニストでした。

 

歌うのは一般の歌好きの方々、

殆どの参加者が音程感覚は問題ないレベルなのですが、

リズム感がユニークな方が少なからずいらっしゃいますので、

通常のライブ演奏とは全く異なるスキルが必要になります。

要は、お客さんがずれてしまった時に、

そうとは分からないように修正する演奏テクニックなのですが、

この技は、ただ楽器が巧いだけでは習得できません。

経験値と広い意味での共感力や社交性、

そして観察力と判断力が必要になります。

 

若い頃に生活のためにピアノを弾いていましたが、

その経験が今、強力に生きています。

 

今日もかなりお酒をめでて、独特のリズム世界に入ってしまったお客さんが、

「夜の銀狐」という、まさにムード演歌中のムード演歌を歌いたいと言い出しましたが、

経験豊富なバックバンドのメンバーの中でも、この曲を知っていたのは、僕だけでした。

 

まさにこんな感じの、夜の世界の大人の男女の甘い騙し合いを歌った唄です。

 

しっかりとした音程感覚を保ちながらも、

あまりにも個性的な時間感覚世界に入り込んでしまったこの孤高のヴォーカリストに寄り添えたのは、

僕のちょっと風変わりな経験値があればこそだったと思います。

 

そしてこのかなり奇妙な交感力も、僕が断酒ライフに入門していなかったら、

日の目を見ることはなかったでしょう。

ありがたいことに、僕にしかできないピアノ・ライフを満喫しています。

酒ごときで命を落とさなくて、ホンマに良かった、いや、ホンマです。

 

五臓六腑に染み渡るは危険な兆候?

飲酒歴40年、断酒歴8年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、ちょっとした仮説?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日も昨日と同様、特にどこかに行って活動する予定はなく、

その意味では日記の観点から報告することはございません。

そこで、飲酒者時代に当然のように思っていたことについて、

振り返りながら考えてみたいと思います。

 

五臓六腑に染み渡る」、

一日の仕事を終えて最初の一杯を体内に取り入れた時によく使われる、

酒の美味さを表現するフレーズですよね。

アルコールが体の細胞の隅々にまで染み渡っていくことによって、

一日の最後の至福の時間がやってくることを直感的に表した慣用句といってよいでしょう。

この瞬間から一日の生活のフェーズが一線を越えていくことをよろこんでいるフレーズとも言えます。

 

でもよく考えてみると、不思議な言葉であり、不思議な感想ですよ。

五臓六腑に染み渡る飲料って、酒以外にありますか。

例えば、コーヒーやお茶も、一日の特別な意味をもった時間に好まれる飲料ですよね。

でもコーヒーやお茶の美味しさや効能について、

五臓六腑に染み渡るというフレーズで賛美することはあまりないんじゃないかな。

 

運動の後や、目覚めの際に飲む水は、

身体の渇きを癒し、まさに細胞に染み渡っていく感覚があるので、

五臓六腑に染み渡る感じが伴うかもしれません。

 

でもこのフレーズが一番似合うのは、やはり酒類でしょうね。

 

五臓六腑に染み渡る」、これは素直に読めば、飲料の味覚に関する形容句ではありません。

まさに体全体が本能的に欲している状態に対する解決としての飲酒に対する感想ですよね。

つまり、身体全体が酒を欲しがっている、

まさに依存状態にあることを表しているフレーズといえるんではないでしょうか。

 

僕はコーヒーに対してこだわりが全くありませんので、

コーヒーに対する使用障害状態、

あるいは一般に言う依存症のような状態があるのかどうかは、知りません。

起床時の水に対する欲求は、睡眠中に水分が失われていることから、

正常な身体の反応といっていいでしょう。

 

でも酒を飲んで、心の底から「五臓六腑に染み渡る」と感じているとすれば、

それは心身全体がアルコールを要求してしまう状態になっている、

つまり使用障害、あるいは依存状態に陥っていることの証かもしれません。

 

もし喩えではなく、本当に酒を飲んで、「五臓六腑に染み渡る」感覚があるとすれば、

それはすでにアルコール使用障害状態にあると言えるのかもしれません。

 

僕は飲酒者末期においては、欲しいと思ったら、

コップに半量ほどの25度の焼酎をストレートであおっていました。

それは味わうというよりも、あるいは酔いたいというよりも、

細胞の一つひとつが僕に命じた結果の行動としか言えないような状態でした。

 

僕たち、アルコール使用障害当事者の経験は極端であるとしても、

アルコールの摂取に際して、「五臓六腑に染み渡る」快感を感じているとすれば、

それは危険な状態の兆候かもしれません。

そう考えてみると、案外、危険なフレーズといえるかもしれませんね。