僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

タバコと酒

アル症にも秋が訪れます、肝硬変にも秋が訪れます、生意気にも季節を感じる58歳、リスボン

本日もリスボンの、思い出します・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


朝、倅を駅まで送っていますが、
たいがい、2,3人のサラリーマン氏がタバコをくゆらせています。

かつてヘビースモーカーであったにもかかわらず、

タバコ、やめればいいのに、
体にいいこと何にもないし、
臭いといわれて嫌われるし、
何や知らんけどたばこ代、ドンドン値上がりするみたいだし。

と思って見ています。


今の僕にとっては、体の中にわざわざ煙を取り込むことの目的や快感が、全く理解できません。

そして粋がって煙草を吸っていた10代後半から30代初めの僕に向かって、

何で、吸っていたんだよ!
と文句も言いますし、

もっと早く止められたやろ!
と怒ることもできます。



しかし同じことを酒について言えるかというと、

なぜか言えないんですね、断酒ライフを送っている今でも。

酒はたばこと違って、百害もありますが、さまざまな利点もあります。

アル症者となり断酒ライフを送らざるを得なくなっている自分自身の過去に向かって、普通であれば、

あの時、もう少し抑えて飲んでいれば、今でもお酒の美点を楽しむことができたはず、
若いころの俺、少しだけでも節酒したらよかったのに、

と思うことでしょう。

ところが僕には、そのような発想がありません。
酒を飲んでいた時には、酒を飲まない生活はおろか、
酒を飲む量を自らコントロールする生活、
そういった当たり前のアドバイスが全く考えられなかった。

酒はあって当たり前、酒は飲みたいだけ飲まな、辛抱できひん、
それが飲酒者の頃の僕の基本的なメンタリティーでした。

つまり僕は、10代の後半に酒を飲みだして、ほとんど時を置かずして、
アル症の基礎工事を終えていたようです。

アル症の素地、すなわち遺伝子をたっぷり持った人間が、
酒の楽しさを知ってしまう、そして酒を飲まない一日という当たり前の選択があり得ない選択になってしまう。

もしかすると僕は、生まれつきのアル症だったのかもしれません。

だとしたら、よくも50台まで、もちました。
僕の肝クンは、よほど高性能だったようです。

40年間、たっぷりいただきました。
40年間、たっぷり酔いました。

残りのン十年は、酒なしのクリアーライフをたっぷり味わいます。

酒も万歳、でも断酒も万歳。

いつものように

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。