飲酒歴40年、断酒歴2年と7か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。
本日もリスボンの、アル症の主張・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
今朝もいくつかのワイドショーでこの話題が取り上げられていました。
二つほど気になることがありました。
一つは、この息子がそこそこいい歳をしていながら、
4度目の逮捕であることについて、
ある出演者が、
4度目の逮捕であることについて、
ある出演者が、
「もっと治療の期間を長くとるべきだったかもしれませんね」
と訳知り顔でコメントしていましたが…
むっちゃ、引っかかりました。
僕たちは、たとえどれだけ長く断酒生活を続けていようとも、
うっかり一杯口にしただけで、
また連続飲酒地獄に陥り、
しかもそこからの脱却は、
しかもそこからの脱却は、
はじめての断酒入門よりも困難だそうです。
つまり僕たちは生きている限り治療の期間が終わらないのです。
この一生、治療が続くということに関して、
恐らく世間の多くの皆さんは、僕たちと認識が異なるかもしれません。
恐らく世間の多くの皆さんは、僕たちと認識が異なるかもしれません。
一般に治療という行為は、
専門家としてのドクターとそのチームによって、
病人という疾病当事者に対してなされる何らかの処置を指すことが多いと思われます。
病人という疾病当事者に対してなされる何らかの処置を指すことが多いと思われます。
しかし本質的に精神疾病である依存症において治療は、
ドクターによる指導も大きな比重を占めますが、
ドクター以外の、
例えば、家族、友人、
そして一番大事な断酒仲間からの、
そして一番大事な断酒仲間からの、
様ざまな働きかけも重要な意味をもちます。
たぶん、覚醒剤依存も同様でしょう。
ダルクをはじめとする自助組織の役割が極めて大きいと想像します。
繰り返しますが、
僕たち、広い意味での薬物依存症当事者は、
生きている限りは治療中ですよね。
僕たち、広い意味での薬物依存症当事者は、
生きている限りは治療中ですよね。
先ほどのワイドショー内でのコメントは、
恐らく悪気は全くないと思いますが、
恐らく悪気は全くないと思いますが、
治療という言葉のとらえ方があまりにも医療中心に偏っているように思え、
納得できないものでした。
もう一つ気になったというか、へぇと思ったのは、
覚醒剤の恐怖について、まさに当事者しか語りえないことを語っていました。
その中である当事者の方が
「たまポン」ということをおっしゃっていました。
アルコール依存の場合、
「たま酒」は速攻、「ずーっと酒」に化けてしまうのですが、
「たま酒」は速攻、「ずーっと酒」に化けてしまうのですが、
覚醒剤は違うんでしょうか。
たまに覚醒剤という使用状況があり得るのでしょうか。
もちろん、確かめようはないのですが、
引っかかっています。
引っかかっています。
いずれにしても、昨日も書きましたが、
やはり僕たち当事者が当事者同士でいろいろと語り合う、
あるいはこのようにブログを通じて情報を伝えあう、
あるいはこのようにブログを通じて情報を伝えあう、
この相互自助がやはり重要ですよね。
僕たちはある意味で仲間としての誇りをもって断酒ライフを継続しましょう。