僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

パターナリズム

飲酒歴40年、断酒歴3年、不良初期高齢者、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、社会批判・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。


最近の痛ましい事件といえば、
千葉県野田市の10歳の女の子が、
父親から暴行を受けて亡くなった事案があります。

いまだ事件の全容は明らかになっていませんが、
何といってもこの父親、

人間ではありませんね。

どのような極刑に処しても、
亡くなった女の子の無念は晴れることはないでしょう。


そしてこの事件の場合、
教育委員会をはじめとする
本来であればこどもたちの健全な成長を応援する公的な組織の、
信じがたい失態が次から次へと報道されています。


父親の恒常的な暴力から逃れるべく、命がけのSOSを発していた彼女の思いがあったにもかかわらず、

こどもを返すように高圧的に迫った父親に屈してしまった組織。


なぜ、事態の異常性を認識していながら失態を演じてしまったのでしょうか。


ここからは僕の予想です。


21世紀以前の世界中の多くの地域で、
パターナリズム、家父長制度という考え方が、
あらゆる文化の基本にありました。

家族の中心は父親であり、
家族の他の成員は、
責任者であり、最終的な決定権者である父親に従わなければならないとするのが、
パターナリズムです。

東アジアでは、この考え方は、
儒教精神と相まって、
とても強力な社会指導理念として君臨してきました。


恐らく21世紀になってもこの東アジアの勘違い三流国では、
この時代遅れのパターナリズムをいまだに克服できていないのではないでしょうか。


従って父親が、

「父親が言うてんねんからこども返すの当然やろ」とすごんだとき、
職員はたじたじと脅迫に屈してしまったのでしょう。


この国でパターナリズムがいまだに克服できていない証拠として、

くそみたいな総理大臣、ポチ率いるあのくそみたいな政党のくそみたいな先生方が、
常に伝統的な家族の形を尊重しようと抜かしていることからも明らかです。


パターナリズムがいかに時代遅れかということは、
例えば、障害児福祉の問題を取り上げても明らかです。

これまでの考え方では、
障がいとともに暮らすこどもの世話を担当するのは、
あくまで母親であり、
そのために、
暗に、
障害とともに育つこどもは家にいるのが良い、
社会に不用意に出るべきではない、
という前時代的な精神が支配的でした。


しかしこれは障害とともに育つこどもたちという社会の宝の世話を、
母親だけに押し付けようとする愚策に外なりません。

こどもたちは社会全体の宝である以上、
社会全体で育てていくという考え方とは相いれないものです。



野田の事件のすべてをパターナリズムのせいにすることはできません。


しかし僕たちの病気の遠因の一つに、
この国にいまだにはびこる、この古臭い考え方があるのは事実だと思います。

パターナリズムの暴力の中で孤立した女性がキッチンドリンカーになる可能性は高いでしょう。

パターナリズムゆえに根拠に乏しい権威を着せられてしまった男性は、
勘違いの中でコントロールしがたい欲求に屈して連鎖飲酒者に陥ってしまう可能性が高かった。

恐らく、日本以上に儒教精神のひずみに蝕まれた社会、韓国では、
アル症者は、日本以上に多いように思われます。

在日である僕の親戚のアル症者率の高さは、これまでも何度か告白した通りです。


この三流の国も、21世紀をちゃんと迎えなければなりません。

パターナリズムは、もしかすると諸悪の根源かもしれません。


これからも折に触れて考えてみたいと思います。


今日は少しばかり重く、暗い話でしたが、最後はいつもの気合で締めましょう。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。