飲酒歴40年、断酒歴3年と5か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。
本日もリスボンの、僕たちについて考えます・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
研究者としての僕の専門領域は、
少しばかりややこしいというか、
一言では伝わりにくい仕事です。
20代にデザイン史から学術研究の道に入り、
現代デザイン批判についても考えているうちに、
障害と暮らしている人びとと出会い、
現在では、
アートを通して、
障害とともに暮らしている人びとの社会参加について、
実践し、考えるといったあたりが研究者としての僕の仕事の中心をなしています。
そしてそのような研究活動の理論的なバックボーンとしているのが、
芸術学一般と、
障害学という比較的、新しい研究領域です。
障害学、一般の方からは、医療的な立場に立った研究領域のように思われることが多いのですが、
むしろ、
社会学や倫理学、そして広い意味での哲学的な立場から障害について考える学術領域です。
少しばかり専門的なことを添えますと、
潜在的な社会差別に対する抗議運動でもあり、
そのため、ポスト構想主義やフェミニズム、クィア理論といった最新の思想運動ともかかわりをもちます。
面倒な話はここまでにしまして、
以前にも考えてみた、
僕たちがともに暮らすことになった精神疾病の呼称について、また考えてみます。
1週間ほど前のワン姫ちゃんとの朝の散歩の際に、
少しばかり新しい見方を思いつきました。
僕自身の飲酒歴を振り返ってみた時、
僕は40年間、飲酒行動に依存していました。
そして現在、断酒ライフに入門していますので、
飲酒行動への依存を中断することに成功しています。
したがって、現在はアルコールに依存はしていないと思います。
飲酒者の頃の僕は、
生活のあらゆる要素について、飲酒を中心に考えていました。
例えば、日が暮れたら酒を飲むのは当然のことであり、
それを禁じるようなアドバイスに対しては、怒りにも似た抵抗感を感じていました。
体の具合がどれだけ悪くなろうとも、
医者からアルコールの摂取を控えるように言われることが予想される場合には、
まず、病院には行きませんでした。
つまり僕は飲酒者であった40年間、
アルコール依存症であったと考えることができます。
現在の僕は、
一回の飲酒が連続飲酒につながり、
そして必ずや内臓の致命的な損傷を引き起こすに違いないことを知っていますので、
アルコールに依存するような精神状態にはまずなれません。
しかし、まず間違いなく、
一杯でも口にすれば、非社会的な連続飲酒に至ります。
つまり現在の僕は、
アルコールの節度を保った使用は不可能になってしまっています。
今の僕はそいう意味で、アルコール使用障害に陥っています。
こんな風に考えてみると、
少なくともアルコールの場合、
依存症と使用障害は、連続する事態ではあるものの、
異なる精神疾病であると考えられるのではないでしょうか。
恐らく、この辺りは、
覚醒剤のような強力な依存形成物質とは異なるように思います。
医療的な視点、
即ち、外的な物質、つまりアルコールや覚醒剤によって、
脳を中心とした精神機序がどのような影響を受けるかといった点からは、
アルコールも覚醒剤も共通する性質が認められるでしょう。
しかし障害学的な視点、
つまり、薬物の影響によって精神に変調をきたした個人が、
どのような社会的な立場に立たざるを得なくなるのかといった観点から考えると、
アルコールと他の薬物、特に覚醒剤のような強烈な薬物とは、
かなり性質が異なるように思います。
かつてアルコール依存症であった僕たちは、
現在、アルコール使用障害とともに暮らしている、
今はこんな風に考えてみようかなと思っています。
もちろん、これが最後の結論かどうかは、分かりません。
でも僕たちがしっかりと生きていけるように、
この問題についても考え続けます。
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。