僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

使用障害を若者たちに伝える?

飲酒歴40年、断酒歴3年と8か月、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、教師の悩み・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

最近、多くの大学が、入門期教育に熱心に取り組んでいます。

僕の勤める美大も例外ではなく、専門教育としての造形基礎訓練と、

いわゆる一般教育としての学び方修得を目的とした科目を、

全一年生に課しています。

僕は、3年後の就職活動も視野に入れた、

学び方修得を目指す基礎教育を担当しています。

そしてその中で、学生たちに新聞に親しんでもらう課題を課しています。

 

今日の授業中、一人の学生が、薬物使用障害に関する新聞記事を取り上げ、

プレゼンテーションしていました。

たまたまそのプレゼンの場にいた僕は、

薬物使用障害の恐ろしさについて、

僕自身の経験を基礎にしながら、

あたかも伝聞のごとく、学生たちに伝えました。

 

僕たちはアルコール使用障害者ですので、

薬物使用障害の恐ろしさ、特に連続使用に陥ってしまい、

まともな人間としての判断能力を失ってしまった状態について、

まさに身をもって知っています。

 

学生たちがそのようないわゆる発作状態の異常さについてリアリティーをもって感じることができないのは当然なのですが、

ついつい当事者の一人として、熱くコメントしました。

 

しかし先ほども書きましたように、あたかも伝聞のごとくに、

つまり、当事者の経験を、当事者から詳しく聞いた、

あるいは当事者の苦しみをこの目で確かめたがごとくに、語りました。

 

ここに僕自身の矛盾というか、弱さ、あるいは徹底できていない部分があります。

やはり学生たちに、

僕自身がアルコール使用障害という精神疾病とともに暮らしていることを、

伝えることができずにいます。

 

あくまで入門期科目ですので、履修者はまだ10代の若者たちです。

そんな彼女/彼らに僕の人生の一部を語ることができません。

彼女/彼らが卒業する時にはホンマの話をしようと思っていますが、

やはり二十歳前の若者たちにとって、

自らが学ぶ教師が薬物使用障害を患っていることは、

簡単に受け入れられることではないように思います。

 

僕は僕の態度が適切なものなのか、分かりません。

薬物使用障害の恐ろしさを若者に伝えること、

このことには大きな教育的、社会的意義があります。

でもその根拠として、自らが当事者であることを明らかにすること、

これが良い事なのか、避けるべきことなのか、分かりません。

 

簡単な課題ではなさそうです。

悩ませてください、もう少し。

でも悩んでしっかり考え続けるためには、いつもの気合です。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。