飲酒歴40年、断酒歴3年と9か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。
本日もリスボンの、今日も少し時事ネタ・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
去年の今頃ですね、渋谷であほどもがハロウィンやいうて羽目を外して、
軽トラひっくり返すわ、公然と痴漢が横行するわ、どうしようもない酔っ払いが大量に発生するわ、の大騒ぎになったのは。
一橋大学の松井先生と学生諸君がこの問題について、複眼的に考察した本が出版されているんだそうです。
いくつかの主張がその本の中では語られているようですが、
読んだわけでもない僕が特に気になったのが、
観光という行為の意味の変節が大きくかかわっているという仮説です。
もともと観光という行為は、
普段暮らしている場所とは全く異なる環境を訪れることによって、
未知の風景や社会環境、そして文化の様ざまな面に触れることによって、
見聞を広め、深める行為だったのですが、
様ざまなメディアの発展によって観光の意義は、
未知の環境を訪れることによってメディアによって伝えられた記号的な情報の確認という行為に変節したというのです。
そして渋谷におけるハロウィンのバカ騒ぎは、
単に騒ぎを起こすために集まったあほどもだけが引き起こしたのではなく、
メディアによって伝えられた異常な喧騒を確かめたい、
その異常な喧騒がまき散らす空気間の中に同時進行で浴してみたいと望んだ、
いわばマスコミ情報を異常なまでに神聖視する脳みそレスなやじ馬どもによっても拡大されたとのこと。
この観点ですべてを片付けることはできませんが、
なかなか、鋭い、そして現代人の脆い心性を鋭く突いた指摘だと思いました。
考えてみれば、ツアーコンダクターによって案内される観光旅行の多くは、
既知の文化環境情報の確認作業に終始しますよね。
もちろん、現地で確認することの意義はものすごくでかいのですが、
旅行の費用に見合うものかどうかは、見方が分かれるでしょう。
僕自身は、既知の情報の確認作業よりも、
現地を案内もなしに歩き回るという非効率的な方法をとらざるを得ないのですが、
未知の刺激を探求する旅の方が性に合っています。
そしてその結果、得られた感覚的な情報が、研究活動にとっての大きな源泉にもなっているように思います。
まだまだ世界は驚きや感動に満ちているはずです。
断酒ライフが保証してくれる体力と脳力で世界を相手に遊びたおします。
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。