僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

依存症という言葉のカジュアル過ぎる流通

飲酒歴40年、断酒歴4年と1か月、不良初期高齢者、リスボン、61歳。

本日もリスボンの、当事者の声・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日はちょっとばかり、シビアな話かもしれません。

 

昼間、今田耕司月亭八光が司会をしてる番組で、

「整形依存症」という言葉が話題に取り上げられていました。

 

美容整形が気軽に行えるようになってきたため、

繰り返し施術を受けることが可能になり、

その中から1回や2回の成果では全く満足できなくなり、

殆ど病的な頻度で施術を繰り返す人が現れてきたということで、

そのような人が陥った状況について、

「整形依存症」という概念で語ることがあるそうです。

 

もちろん、正式の医療用語ではありません。

しかし今日の番組に登場した人物のように、

何百回と施術を受け、合計すると億単位の施術料を払った極端な事例もあるそうです。

その彼、はっきり言って、整形前の方がイケメソだったけどね。

 

僕はもちろん、美容整形なぞ考えたこともありませんし、

僕に近くには経験者もいません(いないと思います)。

ですので、おっかしな人もいるもんだなと笑い飛ばしてもよかったのですが、

依存症という、

僕たちにとってはスルーするわけにはいかない言葉が使われていることに対して、

引っかかってしまいました。

 

番組で取り上げられていたような人たちは確かに、

病的な強迫感に襲われて美容整形の施術を受けているのかもしれませんが、

しかし彼女たち・彼らが苛まれているかもしれない強迫感は、

恐らく、僕たち、依存症当事者が発症時に経験する、

本能的としか言いようのない、動物的な強迫感とは異なると思われます。

発作を発症している時の僕たちは、まさに人間としての判断力を喪失します。

しかし「整形依存症」当事者?が動物的な強迫感に襲われているとは考えられません。

 

依存症という言葉はこのように、ある意味で制御可能な嗜好に関する行き過ぎた態度を表す時に使われることがありますが、

しかしそれはあくまで喩えの範囲に収めるべきであることを、

僕たち、真正?の当事者は訴えるべきかもしれません。

 

というのも、行き過ぎた嗜好についてこの言葉を用いることによって、

脳の一部の機能に機能欠損を生じさせてしまった僕たちに対して、

単に意志の弱いだらしのない連中であるという、

かつて支配的であった、誤解に満ちた評価がぶり返してしまう恐れがあるからです。

そしてそのような誤解は、

僕たちにとって全くプラスな部分がないだけではなく、

社会が僕たちに対する正しい理解を放棄することによって、

新たな疾病者をさらに生み出してしまうことにつながりかねないのです。

 

僕の心配が杞憂であることを望みますが、

しかし社会には、自分より劣るものを見つけると、寄ってたかって叩くという、

善人のふりをした凡人があふれています。

そのような善人の皆さんには、

脳の一部に恢復不可能な機能欠損を抱えてしまった僕たちの苦しみは、

多分、共有してもらう事も、理解してもらう事も、無理でしょう。

 

僕たちが大声を上げる必要があるかどうかは分かりませんが、

しかし押し黙っているべきではないでしょう。

 

依存症という言葉が気軽に使われてしまっていること、

僕は気軽に見過ごすことができません。

 

でもそれはそれ、いつものように元気に。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。