飲酒歴40年、断酒歴4年と3か月、不良初期高齢者、リスボン、61歳。
本日もリスボンの、俺はやっぱり反社?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
不要不急の外出の自粛が叫ばれ始めて、
ほぼ、1か月半?くらいになりますか。
どうもこの合言葉?いまだに納得がいきません。
一つ目、自粛をお願いします、という言い方。
お願いされた段階で、すでに依頼する側とされる側の関係が成立していますので、
言葉通りの自主的な意志決定としtの自粛という言葉は、
意味を失っております。
それから時々、道路の電光掲示なんかで見かける、
「自粛ください」という言い方。
僕の感覚では、文法的に成立してないような気がするんですよ、このフレーズ。
「自粛してください」の方が、意味はともかく、文法的には成立してますよね。
「自粛ください」という言い方は多分、
「ご遠慮ください」からの応用だと思うんですが、
だとしたら「ご自粛ください」だよね、
だって、「遠慮ください」って言わないもんね。
しかし何といっても僕が引っかかっているのは、
「不要不急の外出」というフレーズの、特に「不要不急」という部分です。
単純に「不必要な」という意味であったとしても、
必要と不必要の境い目は、そんなに簡単には決められません。
もし「不要不急」という言葉をかなり厳格に考えるのであれば、
それこそ命に係わる案件だけに限られるべきでしょう。
しかし人生の中で、生き死にに関わるできごとというのは、
そんなにたびたび起こるものではありません。
もう少し緩く考えて、例えば日常生活の運営に必要な事柄に関わることとしてみると、
じゃぁ、日常生活の範囲はどう考えるの、という話になります。
そして「不要不急」は「自粛してください」で一番、気になっているのは、
仕事に関わる案件は、問答無用で不要不急には含めない、
つまり仕事は必要であり、急を要するとする、
多くの人が常識と考えている判断です。
仕事って何やねん、というのが、僕の引っかかっている部分です。
仕事とは、職業ということであり、
生活の糧を得るための活動の事であるとするのであれば、
すっきりするのかもしれませんが、
しかしこの捉え方は、
僕たちの生活の基本を、
あるいはもっと大きく構えて言えば、
僕たちの人生を、
金銭的な価値に従属するものに貶めているような気がして、
何とも不快なんですよ。
多分、僕の引っかかり方は、
僕の生活が、芸術や福祉、
そして広い意味での思考とのかかわりに重きを置いているからであり、
贅沢で不遜な感じ方に基づいていると非難されるでしょう。
でも、人は金銭やメシのためだけに生きてはいませんよね。
いや、今は、まさに緊急事態だという反論もありそうですが、
だからこそ、一見、不要不急に思える案件にこだわる奴がいないと、
社会が腐ってしまうんじゃないかな。
僕の感じ方、考え方が、今の社会の流れからすると、
反社会的な傾向をもっていることは認めます。
でも反社会的に見えることをしっかり容認できる社会でないと、
世界中が北朝鮮になっちゃうんじゃないかな。
反社は反社なりに考え続けます。
反社ですが断酒者です。
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。