僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

過剰飲酒は必要だったのか

飲酒歴40年、断酒歴4年と5か月、不良初期高齢者、リスボン、61歳。

本日もリスボンの、少しは哲学?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

おかげさまをもちまして断酒ライフ継続、もうすぐ4年半です。

そしてこの頃自分でも少し驚いているのが、

酒全般に対して、危険な飲料であるという認識が先に立つようになり、

何故、40年にもわたって浴びるほど、

そして体と心を壊してしまうほど飲む続けてしまったのか、

一体、アルコールの何に対して抗い難い魅力を感じてきたのか、

直観的には理解できなくなってきていることです。

なぜ、あんなに飲んでいたんだろう。

 

例えば酒を飲みながら音楽を聴くと、

音楽の魅力がより高まる、

あるいは飲みながら演奏することにより、

自分自身が解放されたような気になり、より自由に演奏できるようになる、

そんな風に感じていたはずなのですが、

ちょっと思い出せなくなっています。

 

ありがたいことというべきでしょう。

 

しかしながら・・・

 

「酒を飲むという習慣を身につける前になぜこの境地に至らなかったのか、

最初から飲まなければ、もっと感性も知性も豊かな、

そして内臓を壊すこともない人生を送れたのではないか。」

 

不思議なことにこのような考え方、感じ方には、全くなじみを感じません。

現在では飲酒を全否定しているにもかかわらず、

そして過剰なまでの習慣飲酒によって生死をさまよう寸前まで至ったにもかかわらず、

僕は僕のかつての忌まわしい?飲酒体験をマイナスに捉えることができません。

 

何故かと少し考えてみましたが、

全てを納得させてくれるような結論は見つけられていません。

 

あえて言えば、

過剰なまでの飲酒体験、危険なまでの飲酒体験があったからこそ、

飲酒体験を否定することができるようになったのかもしれないということでしょうか。

一瞬、ヘーゲル哲学でいう、

Aufheben 止揚という概念で捉えることができるかもと思いましたが、

僕はドイツ哲学はあまりまじめに勉強しなかったので、

怪しい仮説に過ぎません。

 

僕の現在の断酒ライフのために過剰飲酒ライフが前提として必要だったかどうかは、

とりあえず、脇に置きます。

僕の人生の事実として、

40年にわたる過剰飲酒ライフがあり、

これからも継続させなければならない断酒ライフの真っただ中にある、

今はそれだけで十分でしょう。

 

いつもの気合を入れます。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。