飲酒歴40年、断酒歴4年と5か月、不良初期高齢者、リスボン、61歳。
本日もリスボンの、時代遅れの遠吠え・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
奇妙な1年も、もう半分を折り返してます。
いろいろな不都合が色々な所で起きました。
困った半年になりました。
奇妙な1年と書きましたが、もしかすると今年のような推移が、
これからの当たり前になるかもしれません。
僕たち、大学の教員も、
いろいろな不都合に立ち向かわざるを得ない半年になりました。
大学という場所は、学生も教員も、そして職員も含めて、
人が集まり、出会ってこその場所ですが、
3月以降、その基本中の基本の楽しさや意義を放棄せざるを得ない事態になりました。
教室で学生と直接、相まみえることなく、教育を行う、
日本中の大学の先生が、この難問に立ち向かいました。
そして多くの先生方が、
デジタル・オンライン技術を駆使することでこの難局を乗り越えようとしました。
もともとデジタル・オンライン技術を好意的に活用していた人々は、
この難局を一つのチャンスとみなして、積極的かつ勇猛果敢に取り組まれたようです。
僕も最初の頃は、何とかついていかなければならないと、
がんばろうとしました。
が、・・・が、です。
割と早~~~くに脱落しました。
根性レスなんです、ハイ。
僕が各種の遠隔授業用アプリケーション、
あるいはオンライン・ライブ・コミュニケーション・アプリケーションのマスターに、
早々に躓いてしまった原因は、色々あります。
僕のこんじょレスももちろん、大きな一因です。
が、・・・が、です。
あっちサイドにも、問題はあったように思います。
その一つが、
デジタル・アプリケーションの使いこなしのためにマスターしなければならない、
各種のヴォキャブラリーの難解さにあると思います。
オンライン上のトリセツを熟読して何とかトライしますが、
そもそも使われている用語の一つひとつが理解できない、
そしてさらに困ったことに、
その用語を解説してくれるであろう相談窓口を探すことができない、
恐らくそのような窓口がどこかにあるはずですが、
デジタル弱者はそこにたどり着くことができない、
つまり、全く知らない言葉で説明されているにもかかわらず、
辞書もなければ、通訳もいないという、
四面楚歌どころか、天地も合わせて六面楚歌という窮地に追い込まれます。
3月から4月くらいまでは、
何とか僕のこんじょレスマインドの中にもかすかに残っていた燃える闘魂は、
次から次へと訪れる、このような用語理解をめぐる、
デジタル・オンライン・不親切・いじめの中で、
ふにゃふにゃとしぼんでしまいました。
デジタル技術語がいかに横暴に組み立てられているかの一例を示しましょう。
マッキントッシュに標準的に装備されている、
「写真」というアプリケーション?があります。
そしてその中の基本的な用語に、「イベント」という言葉があります。
普通、「イベント」というと、何らかのできごとを想起しますよね。
ところが「写真」の中で用いられている「イベント」という用語は、
どうも一般的なアプリケーションで用いられている、
「ファイル」や「フォルダ」という概念と同じ概念のようです。
この不思議な命名法をすんなり受け入れれば、
「写真」というアプリケーションは、場合によっては、
マックらしい、便利さに満ちたソフトのようです。
ただし、わざわざ「イベント」という名称を用いていることに対して、
きっと特別な意味合いや機能が含意されているに違いないと予想してしまうと、
ドツボにはまってしまいます。
僕が「イベント」という用語の意味合いを確認するためには、
大学に勤務する、20代前半の技術スタッフに教えを請わなければなりませんでした。
まだ僕の場合、このように助けてくれるかもしれない、
ありがたい人的資源の近くで仕事をしていますので、
何とかなりましたが、
そうでない、ホンマにインディペンデントで仕事をしている個人の研究者は、
苦労なさったんじゃないかと想像します。
様ざまな課題をクリアーしなければならないようですが、
しかし今年、世界中の人たちが立ち向かわざるを得ないこの困難は、
多くの無理や矛盾、そして人間社会の愚かしさを露呈してくれました。
まだまだ困難は続きます。
闘いという言葉で、必要以上に英雄化するべきではないと思います。
新型ウィルス感染症拡大問題とデジタル抑圧、
またゆっくりと考え、ぼやいてみたいと思います。
ぼやき続けるためにもいつもの気合です。
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。