飲酒歴40年、断酒歴4年と6か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル61。
本日もリスボンの、僕がこだわりすぎ?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
大相撲、けがのため序二段まで位を落とし、再び駆け上ってきた照ノ富士が、
優勝しました。
素晴らしいことだと思います。
表彰式に先立ち、国家の斉唱がありましたが、
Sars-Cov-19 感染拡大防止のため、観客には声を出さずに心で歌うようにアナウンスがありました。
そしてその後、表彰式では、
スポーツの表彰では定番ともいうべき、ヘンデルのオラトリオの中の曲が流れました。
日本の国家、「君が代」、誰もいわないから僕が書きますけど、
変な音楽です。
メロディーの由来は僕は詳しくは知りません、
日本古謡ということになっていますが、
雅楽からの引用だともいわれています。
あのメロディーは、音楽的には変ではありません。
落ち着いたペンタトニック(五音音階)の、ごく自然なメロディーです。
変なのは伴奏の和音構造です。
純粋に東洋的な旋律構造をもつ「君が代」のメロディーに、
無理やり、西洋音楽式の和声を当て込んでいます。
一部のコード進行は、かなり攻め込んだ、アバンギャルドな響きをもっています。
あの和音の伴奏のどこに、日本文化の伝統的な香りがあるんだろう。
言ってみれば、純日本風の髪形を結った人物が、
無理やりタキシードかなんかを無理に着ているような感じ。
誰もこの奇妙さに気がつかなかったんでしょうか。
どうもこの国の人びと、
それも色んな分野でリーダーシップを握る立場にある人びとの音楽感覚は、
どうにもずっこけているように感じられて仕方ありません。
日本中が東日本大震災からの復興に心を集中させていた時期にも、
日本人の音楽への雑な感覚は発揮されました。
こちらは音というよりも、歌詞への無神経さですけど。
あの頃、復興の気持ちを高めるために、
「ふるさと」という歌がある種のシンボルとして、
盛んに歌われていました。
「ウサギ追いしかの山、小ぶな釣りしかの川」
この2行で日本の原風景を思い起こそうということだと思いますが、
山でウサギを追いかけたことのある人、います?
川で鮒を釣ったことのある人、どれだけいるとおもいます?
都市部出身ではない僕も、どちらの経験もありません。
川でザリガニ取くらいはしましたけどね。
何でみんな、こんなにいい加減なんだろう。
もう一つ、これは僕の勤務している大学の、恥ずかしい話です。
僕たちの大学は、学生総数がそれほど多くはないので、
卒業式の際には、卒業生一人ひとりが壇上に上がり、
学長から学位記を受け取ります。
そしてその時に、ショパンの練習曲集作品10の3番、
いわゆる「別れの曲」が背景音楽として使われていました。
卒業という別れ、旅立ちを記念する式典の音楽ということで、
「別れの曲」が選ばれていたんでしょうけど、
あまりに安易に過ぎます。
まずこの曲、出だしは美しいメロディーと和声で始められますが、
中環部は、激しく調整の変化する、不安定な音楽構造を取ります。
かなりアバンギャルドな響きの部分が続きます。
「別れの曲」を学位記授与の背景音楽に選んだ人は、
この部分を自らの耳で確認したのでしょうか。
もちろん、してないでしょうね。
それからこの曲、
日本では俗に「別れの曲」と呼ばれていますが、
ヨーロッパでは「メランコリー」と呼ばれることが多いのです。
つまり「憂鬱」というニックネームの曲なのです。
そうか、卒業式って、表向き華やかなんだけど、その奥底で憂鬱なイベントなんや。
僕は一度、教授会の席で、
ショパンの練習曲作品10の3番が学位記授与にふさわしくないことを、
今の二つの理由を述べて主張しました。
その年からショパンは流れなくなり、
何かよう分からん、ポップスナンバーがかかるようになりました。
多分、僕の感じ方が異常で、過敏なんだと思います。
でも芸術を考える大学にしては、あまりにも雑な取り扱いでしたよね。
「君が代」、「ふるさと」、そしてショパンの練習曲作品10の3番。
炎上するかもしれませんが、あえて言っちゃいましょう。
日本人は音楽の選択に当たって、音楽そのものを聴かなさすぎる。
大相撲中継の「君が代」とヘンデルの「勇者を讃えよ」の連続演奏を聴いたとき、
昔から感じていたもやもやが顔を出してしまいました。
変な世の中だからこそ、
変人28号、遠慮なく主張します。
変人28号、今日も魂の誓い。
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。