僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

当事者視点は理解されにくいのかも

飲酒歴40年、断酒歴4年と8か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル61。

本日もリスボンの、当事者の主張・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日もマス・メディアの間では、

山口君の酒気帯び運転に関する話題が盛んに取り上げられました。

山口君個人の事案として考えれば、

そんなに日本中が大騒ぎすることでもないとも思いますけど。

交通事故としては、多分、軽微な物損事故でしょうし、

アルコール使用障害の観点から見ても、

断酒ライフの継続という、もっとも当たり前かつ簡潔な解決法が、

やはり、簡単なことではないということの事例の一つに過ぎないと思います。

 

しかし山口君の場合、

彼自身の芸能人としての経歴があまりに華やかであったことと、

以前の事案があまりにも衝撃的であったことが災いしているともいえそうです。

 

テレビのワイドショーの類では、色々な人が勝手なことを言います。

もちろん中には、アルコール使用障害が精神的な疾病であり、

その解決には医療機関の関与が必要であることを前提とした、

比較的、まともなコメントもありました。

 

でも殆どのコメントには、

僕たち、薬物使用障害者が、

発症中(という言い方がいいのかどうか)に陥っている、

非人間的な精神状態についての理解はなかったように思います。

 

言うまでもありませんが僕たちは、ひとたびスイッチが入ってしまえば、

薬物(僕たちにとってはアルコールです)を体内に摂取すること以外のことは、

完全に判断材料の外側に置かれます。

その時の僕たちは、嘘をついてやろうといういたずら心が全くないにもかかわらず、

周囲に対しても、そして自分自身に対しても、絶望的な嘘をつきます。

どう考えてもその時の僕たちは、

人間であれば誰でもが発揮できる理性的な判断能力を失っています。

つまりその時の僕たちは、人間であることを完全に放棄しています。

そして当然ながら、そのような絶望的な経験は、

当事者しか味わうことはありません。

 

しかし僕たち、当事者が、僕たちの経験について語ることは、

それほど簡単ではありませんし、

そのような機会が与えられることも、そうあることではないでしょう。

 

しかし昨日も書きましたように、

僕たちには幸福を追求する権利と義務があります。

とにもかくにも、僕たち自身の断酒ライフの継続をより確実なものにしながら、

発言の機会がある時には、正直に当事者としての経験と視点を語るべきでしょう。

 

誰もがもっているマイナスの部分を偏見なしに共有し合える社会、

僕たちにも、そんな社会の実現に向けてお手伝いできることがありそうです。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。