僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

酔うまで飲酒、もしかするとそれが恨の民族のアイデンティティー?

飲酒歴40年、断酒歴4年と9か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル61。

本日もリスボンの、やっぱり酒は危険薬物・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日、Yahoo にアップされていた東洋経済オンラインの記事に、

気になることが書いてありました。

 

その記事によれば、

飲酒によるストレスの解消効果は、一時的な錯覚であり、

過剰な連続飲酒は、記憶の選択的削除能力を害するそうです。

 

飲酒による多幸感が一時的な錯覚であることは、なんとなくわかりますよね。

いやなことがあった日は、とりあえずある程度、酩酊するまで飲酒に溺れれば、

とりあえず、短期的には乗り切れるような気がします。

 

しかし後半の、過剰な飲酒が忘却能力に害があるという話は、少しばかり驚きでした。

人間がAIとは異なり、適度にメモリーを削除する、つまり忘れることによって、

新たな思考や感情、そしてそれらに基づいた行動が可能になることは、

そうだろうなと思います。

忘れることで新しい明日を迎えることができるわけです。

 

しかし過度な連続飲酒は、この能力を奪ってしまうらしい。

僕自身を振り返ってみると、当たっているような、そうでもないような。

でも、僕は他者への恨みということについていえば、

結構、執念深いほうだと思います。

だから、当たっているのかな。

 

そしてこのことは、わが朝鮮・韓国民族に関していえば、

ほぼ、正解といってよさそうです。

我々、朝鮮・韓国民族が「恨」(ハン)という感情に重きを置いていることは、

自他ともに認められることでしょう。

そして僕たちは、アングロサクソンをはじめとするコーカソイドとは異なり、

どうやら、生来、アルコールの分解能力は低いようです。

にもかかわらず、その地理的特性もあり、

常に国際的な緊張というストレスに見舞われ続けたことにより、

民族的特性として、過度の連続飲酒に陥りがちです。

僕たちの「恨」は、

民族としてのアルコールの不適切な使用にその一因があったのかもしれません。

 

今さら恨んでも始まりませんが、

アルコールをはじめとする薬物使用障害には、

個人的原因因子以外に、社会的な問題因子もかかわりがありそうですね。

僕たちはその因子から永遠に逃走するしかありません。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。