僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

僕たちの本当の敵

飲酒歴40年、断酒歴5年と1か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル62。

本日もリスボンの、多分まだまとめきれない・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日の話はとりとめがなくなると思います。

というのも、

人生にとって「働く」ということの意味という大きなテーマと、

僕たち、薬物使用障害当事者にとっての意志の在り方という大きなテーマが、

僕の中で未整理のまま、絡み合っているからです。

納得できるところまで書いちゃうと、かなり長くなりそうなので、

中途半端なところで切ろうと思っています。

 

僕はいまだに「働く」ということについて、

理解できていないような気がします。

 

僕はこれまで、そして今でもそうなのですが、

「働く」ということについて、義務としてとらえていないような気がします。

もし「働く」ことの目的が、生活費を確保することにあるとすれば、

話は単純にまとめられそうなのですが、

幸いなことに、僕の中でいわゆる「遊び」と「働く」ことの区別がついていません。

 

でも一般的に「働く」ことには、生活費の確保以上の意味や意義があるように言われ、

とても重要なことであるように考えられているようです。

ここに僕は少しばかり、引っかかっています。

「働く」ことは、人生の中で賞賛されるようなことなのでしょうか。

「働かない」ことはその逆に、非難されるべきことなのでしょうか。

「働く」ことを、何か倫理的な価値判断の中で語ることに、

僕はいつも抵抗を感じています。

 

そして僕たち、薬物使用障害者ですが、

僕たちが薬物から身を遠ざけていることに対して、

意志の力の素晴らしい発揮であると称賛する向きがあるような気がしますが、

ここにも僕は引っ掛かりを感じてしまいます。

 

僕たち断酒ライフ入門者は、

素晴らしい意志の力で断酒ライフを継続できているのでしょうか。

もし断酒ライフの継続が意志の力のなせる業であるとすれば、

僕なんかとっくの昔に挫折してます。

 

というよりも、

僕たち、使用障害当事者は、

意志の力で自らの行動を制御できなくなってしまったのです。

そしてそれは意志が弱いからではなく、

僕たちの脳みその中に、

意志という理性と主体性の結合した状態をも無力化してしまう、

新たな回路が形成されたからであり、

その状態を一般に依存症と呼ぶわけです。

 

おそらく僕たちが対抗すべき本当の敵は、

意志の力さえも無力化していしまう恐ろしい疾病の本質を理解できず、

人生において「働く」ことの中に善や美、そして意義を見出そうとするロジックと同じ理屈で、

僕たちの断酒ライフの継続を美談としてたたえようとする誤解なのではないでしょうか。

 

自分で書いていても、少しばかりややこしいのですが、

人生を倫理的な価値ばかりで捉えようとすると、

息苦しくなりそうな気がします。

 

まだまだ考え続けます。

よければ意義と意志と断酒ライフの継続というテーマ、

今後もお付き合いください。

 

もちろんいつもの気合は、変わりません。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。