飲酒歴40年、断酒歴5年と5カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル62。
本日もリスボンの、近況報告・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
僕の表向き?の顔は、美大の教師です。
授業面ではデザイン史と英語をおもに担当し、
研究者としては、障害者による芸術表現をサポートしながら、
障害学と芸術学の橋渡しに取り組んできました。
大学教師としては、あと2年半で、強制退去処分を受けます。
昨年からの新型ウィルスパンデミックのあおりを受けたこともあり、
研究活動に関しては、かなり僕の内部のインセンティブが下がりました。
僕の僕自身が信じている僕のホンマの顔は、
ジャズ・ヴォーカリスト兼ピアニストです。
もっともこちらの顔による収入はほとんどありません。
しかし、肝硬変とアルコール使用障害で一度は死にかけた僕が、
今、元気に生きていられるのは、
僕が音楽に人生をかけようと思っているからです。
今日は、少しだけ専門的な話になりますが、
ミュージシャンとしての僕が最近、
演奏や練習の際に心がけていることを報告します。
まずこの頃、少し吹っ切れてきた部分があります。
特にジャズの弾き語りに関してですが、
典型的なジャズバンドの編成では、
ピアノとドラム、そしてベースがアンサンブルの3本柱になります。
僕も、メンバーが集められるときは、
僕自身のピアノとヴォーカル、そしてベーシストとドラマーのトリオで演奏します。
しかし一人で演奏する機会も多くあります。
これまではピアノという楽器の特性を生かして、
ピアノ1台で、ピアノ、ベース、そしてドラムスによる、
いわゆるジャズピアノトリオのアンサンブルの感覚を再現することを目指してました。
ピアノに関していえば、
右手でしっかりとメロディーを奏で、
左手でベースとコード伴奏を確保し、
そこにジャズ特有のリズム感覚を織り込むという演奏法にこだわってきました。
この演奏法は、右手、左手ともに、結構、忙しくなります。
まして僕の場合、その上に同時に歌おうというのですから、
一層、めんどくさくなります。
めんどくさい演奏法を実現するためには、
無意識で演奏できるように徹底的に練習するしかありませんが、
無意識でも弾けるようにするために、
左手の演奏法をパターン化することになってしまいます。
パターン化された演奏は、完ぺきにこなせれば、それなりにカッコいいのですが、
いかんせん、単調になります。
僕は、この単調さがどうしてもいやでした。
そこで最近、左手による伴奏パートのパターン化された演奏を放棄することにしました。
具体的に言いますと、
これまで左手でベース音とコード伴奏の両方を弾いていましたが、
どちらかをやめてもいいことにしました。
場合によっては、両方ともやめてしまい、
声か右手によるメインメロディー以外の音を演奏しない瞬間も多用するようにしました。
歌の伴奏という観点から言えば、
左手によるコード伴奏が全くない演奏というのは、
かなり思い切った、スカスカの音空間が形成されます。
かつては、このスカスカさに対して、恐怖を感じていたのですが、
スカスカな伴奏の中で、ヴォーカルという生ものをストレートに提示する、
こんなに正直な演奏法はないと感じられるようになり、
むしろ、上っ面の媚を放棄した、魅力的な演奏になるのではないかと、
開き直れるようになりました。
何でも説明的に埋め尽くせばよいという訳ではなく、
空白にも意味をもたせることによって、より深みのある音空間に挑戦できるようになりました。
そしてもう一つ、最近挑戦しているのが、
コードの中でフレーズを完結させるのではなく、
コードとコードの連結の中にメロディーの魅力を織り込むことです。
このことは、文章で説明するのもかなり難しく、
また実際に演奏しながら説明したとしても、分かりにくいと思います。
しかし、閉鎖性の中でメロディーの進行を考えるよりも、
メロディーの進行によってコード連結の構造に柔軟性をもたらすことの方が、
よりスリリングで、かつクリエイティブであることが分かってきました。
毎日、5時に目が覚めますが、
目覚めの後の1時間ほどの朝練の時間が、最も集中できます。
日中に大学での仕事を終え、帰宅した後の練習では、
やはり疲れもあり、感覚を研ぎ澄ます練習は難しい。
でも毎日、2時間以上は、音楽と向き合うことができます。
何と幸せな人生なんでしょう。
そしてこの幸せも、断酒ライフへの入門ならびに継続のたまものです。
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。