僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

ゴールボール

飲酒歴40年、断酒歴5年と7カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル62。

本日もリスボンの、これはやってみたいぜ・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

TOKYO 2020 、パラリンピックも終わりました。

僕はずーっと、パラも含めて Tokyo 2020 の強行開催に対して疑問を表明し続けてきたこともあり、

パラにもそれほど関心は払わずにいました。

 

障害学研究者という立場から考えると、

パラリンピックにもいろいろな問題点があります。

以前にも書きましたが、

苦悩を乗り越える英雄的なイメージとしての障害者を賞賛する、

いわゆる感動ポルノに対して僕たちは、

批判的な見方をすることが多いです。

 

障害者スポーツの世界最高峰イベントとしてのパラリンピックにも、

この感動ポルノ的な要素はどうしてもまとわりついてきます。

考えてみれば、パラリンピックは、エリート・アスリートが競い合うイベントであり、

障害者の社会参加の推進という観点からも、かなり特別な事例というべきでしょう。

 

あえて言えば、人間存在の多様性を社会に伝えるイベントとしての意義は、大きいと思います。

多くの障害者に人びとの注視が集まる、

そのことによって、決して障害者は人目を避けて暮らす存在ではないという、

当たり前のことにみんなが気がつく、

これは大事なことでしょう。

 

もう一つ、僕が感じたパラリンピックの大事な意味としては、

障害者スポーツであればこそ生まれ得た、新しい感覚や技能を競い合う競技の存在があると思います。

 

特に僕は、ゴールボールという、

平均者競技の中にもモデルのない、独自の競技に興味を惹かれました。

 

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元々は視覚障害者が楽しむことができる球技として考案されたものと思われますが、

しかしこの競技は、厳重なアイマスクを着用することで、誰でも参加できる、

平均者にも開かれた種目ということもできます。

そしてボールを投げる、ボールをキャッチする、

あるいはボールの進入を阻止するといった身体技能とともに、

聴覚情報を中心に、一切視覚に頼らず、情況を判断するという、

平均者が普段は経験しない感覚体験技能を競うという点において、

障害者と平均者の壁、いわゆるバリアを無意味化し、超えてしまった、

本当の意味でのバリアフリー・スポーツと考えることができます。

 

全盲の案内役に導かれながら、

全く光の存在しない空間を体験する、

ダイアローグ・イン・ザ・ダーク、 DID という、

とてもエキサイティングなワークショップがありますが、

ゴールボールも DID と同じく、

新鮮でエキサイティングな感覚を経験させてくれるんじゃないかなと想像します。

DID をこれまで2回、経験した僕は、

ゴールボールにもぜひとも挑戦してみたいと思っています。

 

あと、ボッチャも挑戦してみたいっす。

やりたいことがまだまだあるので、アルコールごときで死ぬわけにはいきません。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。