僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

検証不可能、でも多分、予想通り?仮説

飲酒歴40年、断酒歴5年と7カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル62。

本日もリスボンの、多分予想通り・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

f:id:skyoflisbon:20210910185750j:plain

 

ごくまれにですが、

機会飲酒者の知人に断酒ライフのすばらしさを伝え、

こちらの仲間になりませんかと誘うことがあります。

僕としては、冗談半分でもありますが、

残りの半分は、結構、マジにお誘いしているつもりです。

もちろん、相手には、やんわりと拒否されます。

お酒好きの機会飲酒者にとっては、

当然ですが、お酒を楽しむことは、人生の安らぎであり、また華でもあります。

そのような素晴らしい機会を自ら放棄することは、考えられないんでしょうね。

 

習慣飲酒から連続飲酒に陥り、そして問題飲酒に至った僕たち、

アルコール使用障害当事者にとって、

機会飲酒者でとどまることは可能だったのかどうなのか、考えてみました。

 

僕の場合、人生の割と早い段階で、習慣飲酒者になっていました。

大学に入学し、貧乏一人暮らしを始めた18歳になって、すぐのことでした。

そしてそのころから僕の飲酒の目的の第一は、スムーズな入眠の確保でした。

睡眠前の適度な飲酒が安定的な深い睡眠を担保してくれると、

20歳になる前に頑なに信じ込んでいました。

 

もちろん、飲酒に伴う快感情も、僕の習慣飲酒の定着を後押ししました。

耐性はどんどん強くなり、その飲みっぷりの良さから、

年長者から酒を奢られることも多くありました。

 

そして22歳から、ラウンジピアニストとして夜の世界で生活費を稼ぐようになり、

収入を確保する活動と習慣飲酒が自然に同化してしまいました。

20代の僕にとって習慣飲酒の定着は、必然以外の何物でもなかったように思います。

 

かなり乱暴な仮説ですが、僕はもともと、

連続飲酒者になりやすい因子をもって生まれてきたような気がします。

父親が習慣飲酒者であったこと、

そして父親だけではなく、ほぼ親族の男性、全員が習慣飲酒者であったことも、

先天的な因子の負のパワーを後押ししたようにも思います。

 

もちろん、人のせいばかりにするわけにもいかないでしょう。

でも、先天的な因子と環境的な因子の相乗パワーを無視することもできません。

 

僕がとてつもなくラッキーだったのは、

心身ともに完全に破壊してしまう前に、

新たな生き方、断酒ライフに出会えたことでしょう。

油断は禁物です。

でも断酒ライフのすばらしさを伝えることは、

僕が僕の幸運に報いるためにできることの一つだと思います。

いつもの気合を遵守します。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。