僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

アメリカよりもヨーロッパ

飲酒歴40年、断酒歴5年と11か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、多分、単なる好みの問題ではないと思います・ノープランブログ、

ご訪問ありがとうございます。

 

僕の断酒ライフの精神的な支柱は、音楽活動への思いです。

そして僕は自分を、ジャズ・ピアニスト兼ヴォーカリストだと思っています。

ただ好んで演奏するレパートリーは、一般的なジャズ・プレイヤーとはかなり趣を異にします。

いわゆるジャズ・スタンダードも演奏しますが、

ふつうはジャズの手法で演奏されることのない曲も取り上げています。

 

ここ2,3年ほどで、京都や滋賀で活動している、

セミプロやアマチュアのジャズ・ミュージシャンと交流する機会が増えました。

そしてその中で、僕のジャズに対する指向性が、少しばかり風変わりであることに気づかされました。

それが今日のタイトル、「アメリカよりもヨーロッパ」ということです。

 

もちろん、ジャズは、アメリカ生まれの音楽です。

ですので、ジャズの本場はアメリカということになります。

もっともアメリカでもどこが本場中の本場や?ということになると、

話はジャズの歴史やスタイルともかかわってきますので、

単純に、ニューヨークだとも、ニューオリンズだとも、あるいはシカゴだとも言えません。

 

しかし日本の多くのアマチュア・ジャズ・ミュージシャンにとっては、

ニューヨークを拠点に活動していた黒人ミュージシャンたちによって展開された、

ビーバップというスタイルこそがジャズのメインストリームだという捉え方が支配的です。

特に関西のミュージシャンにその傾向が強いかな。

 

僕の音楽的指向性が少しばかり風変わりだと思うようになったのは、

ビーバップに対する僕の態度からです。

僕はビーバップがキライなわけではありませんが、

ビーバップがジャズの絶対的な王道であるとは思っていません。

アメリカで好まれている、ビーバップを中心としたジャズも素晴らしいのですが、

例えば、黒人文化との縁がどちらかといえば薄い、

ヨーロッパのジャズ・ミュージシャンたちによる、

理知的なアプローチをふんだんに施したジャズも好きです。

いや、正直に言えば、ヨーロピアン・テイストのジャズの方が好きですね。

 

f:id:skyoflisbon:20220108201812j:plain

 

僕の音楽ベースはクラシック音楽です。

今でも、ジャズを聴いている時間よりも、クラシックを聴いている時間の方が長いです。

アメリカで発展したビーバップのルーツの一つは、

黒人音楽としてのブルースにあります。

どうも僕は、ブルースに共鳴する音叉をもっていないようで、

そのことも、僕のジャズの指向性に影響を及ぼしているようです。

 

音楽も含めてほとんどの表現活動は、

多様性を包摂していく過程を経て、発展していきます。

ですので、僕も、ビーバップ命のミュージシャンとともに、

僕のヨーロッパ趣味をぶつけながら切磋琢磨していけばよいのですが、

どうも、腕に覚えのあるアマチュアほど、自分のスタイルにこだわりをもっているようで、

僕の音楽の指向性は時として表向きは慇懃に拒否されることもありました。

仕方のないことかもしれません。

 

僕にとっては、僕は僕自身のために音楽を演奏しているという原点が一番大事なので、

多少の音楽的な摩擦は必然的な過程として受け入れるしかないでしょう。

僕にとって音楽は、僕が生き延びるための一番、大事な戦略です。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。