僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

自分の居場所には自分で名前をつけよう

飲酒歴40年、断酒歴6年と1カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、今更だけど確認・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

また音楽ネタで失礼します。

 

今現在、僕はレギュラーバンドに所属していません。

また頻繁に演奏を共にする仲間もいません。

基本的にソロ活動をメインにしています。

 

4、5年前までは、僕がリーダーを務めるクァルテットで活動していました。

2年前までは、サックスのT君とのデュオ活動をメインにしていました。

去年の今頃は、

そのころ知り合った二人のミュージシャンとレギュラートリオを組むことを考えていました。

 

いろいろな理由があって、どの組み合わせも何となくフェイドアウトしてしまいました。

もっとも何となくフェイドアウトしただけなので、

何となくフェイドインする可能性も十分にあります。

ただ今は、ソロを少し意識しています。

 

ほとんどのジャズミュージシャンは、アマ、プロを問わず、

自らの理想とするミュージシャンを心に抱いており、

その人物の演奏様式を一つの理想として捉え、演奏活動の指針としているようです。

 

僕にはそのようなミュージシャンはいません。

演奏様式に関していえば、特定の様式のみに従うことはせず、

いろいろなタイプのジャズのエエトコどりを目指し、

ジャズ以外のジャンルにも目を(耳を?)向けるようにしています。

レパートリーも、ジャズ以外のポップスから題材を選ぶことが好きです。

 

そんな僕の指向性を共有してくれるミュージシャンは、どうもあまりいないようです。

そんなわけで、

いわゆるメインストリームのジャズへの指向性?の強いメンバーが集まるジャムセッションでは、

どうも、浮いてしまうようです。

 

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そんな中で、チェット・ベーカーというトランぺッターのインタビュー記事が心に刺さりました。

チェット・ベーカーは、

エストコースト・ジャズの代表的なミュージシャンとして知られているのですが、

彼自身はウエストコースト・ジャズというブランド名の中にくくられてしまうことには、

全く興味がないそうです。

自分のやりたい音楽と、

演奏の場で出会った客とどのようにすれば音空間を共有できるか、

いかにすれば客を楽しませ、そして自分も楽しむことができるか、

ミュージシャンとしての興味はそれらに尽きると言い切っていました。

 

自分の理想とする演奏スタイルをもつこと、

そしてそのスタイルにブランド名をもたせること、

そのこと自体は別に悪いことではありません。

しかし、誰かが決めつけてしまったブランド名に自分を縛り付けてしまうことは、

マイナス面の方が多いでしょう。

 

少しだけカッコつけて言うと、

僕は僕自身の音楽を演奏したいだけで、

誰かの演奏スタイルをお手本や目標にすることには、興味がない。

先人が残してくれたすばらしい音楽から学べることはいっぱいあるけれど、

全面的にコピーすることが目的化してしまうのであれば、

表現者として生きている意味はなくなってしまう。

 

僕は単なる趣味として演奏活動を行っているのではありません。

アルコール使用障害とともに生き続けることの意味を音楽の中に求めています。

僕の音楽はまず第一に僕の中で意味をもちます。

ですので僕の音楽を言語化する際に、誰かが命名した名前を借りる必要はありません。

僕の生きざまは、僕が決めていきます。

 

そういえば、チェット・ベーカーも、薬物使用障害当事者であり、

逮捕歴もありましたが、

彼の晩年の演奏には、老練な技巧と新鮮な驚きが常に同居していました。

生き直すチャンスをものにできた以上、これからもこどものように驚きながら生き続けましょう。