飲酒歴40年、断酒歴6年と1カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、怒りのノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
今日は僕は怒っています。
っていうのは、言い過ぎで、ホンマのところは、なるほどなぁと呆れています。
今日は教員対象の学内電子連絡版の新システムの説明会と、教授会がありましたので、
大学に出勤してまいりました。
何を呆れているのかといいますと、説明会でも教授会でも気がついた、
大人たちの説明の慇懃無礼な下手くそさに対してです。
最初の学内電子連絡版のプレゼンテーションですが、
システム販売元のエンジニア?らしき人が担当しました。
感想:三分の一も頭に入りませんでした。
教授会はいくつかの議題がありましたが、
一つだけ、ややこしい提案があり、やや議論に時間がかかりました。
感想:重要な案件であることは理解できましたが、
教授会議長でもある学長の議論の納め方が理解できませんでした。
僕は定年まで2年を残すのみとなりましたので、
学内の電子掲示板の新システムについても、
今日の教授会で提示されたやや面倒な案件についても、
全く関心がないわけではありませんが、
しかし無責任に深入りする必要もないかなと思って聞いていました。
二人の議論の進行役の話が僕の頭の中に入ってこなかった理由の一つは、僕の側にあります。
はい、適当に受け流しながら聞いていました。
でも、話し手の側にも、大いに問題があることに気がつきました。
英語を始めとする印欧語族と日本語の大きな相違点としまして、
文の重点部分が文頭にあるか文末にあるかという違いがあります。
日本語では、文の骨格部は、文末まで聞かないとはっきりしません。
「××だと思います。」なのか、「××だとは思いません。」なのかは、
正確には文の最後に初めて明らかにされます。
しかし英語のような言語では、
It is .... なのか、It isn't ..... なのかは、文頭で示されます。
ですので、日本語でのプレゼンテーションにおいては、
文の後半部分は、よりはっきりと明確に伝える必要があるでしょう。
しかし今日、僕が参加した二つの会合の進行役のお二人は、
多分、丁寧にしゃべろうとして、文の後半になればなるほど、声が細くなり、
滑舌も悪く、早口になりがちでした。
これでは分かりにくくなりますよ、話が。
どうも日本人というか、ジャパニーズ・ピーポー、
文末をはっきりと締める、メリハリの利いたしゃべり方が苦手なようです。
自分では結論をはっきり言わず、相手の忖度に委ねてしまう、
そのような相手任せの説明の方が丁寧に響くと考えている節がありますよね、大人は。
このことは、日本に帰化した僕が日本人になりきれない案件の一つかもしれません。
はっきりとした物言いは、場合によってはこの国では煙たがられるんですよね。
でもいいです、煙たがられるディアスポラで。
僕には断酒ライフというつえぇ見方がありますので。
Viva ! LWoA, Life Without Alcohol !