僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

健康、健全という傲慢

飲酒歴40年、断酒歴6年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、話は単純ではなさそう・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

昨日のNHKクローズアップ現代だったと思いますが、

気象病の話題が取り上げられていました。

雨が近づいたり、気圧の変化が感じられたりすると、

頭痛が起こる等の体調の変化をきたす症状の総称だそうです。

 

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どちらかといえば女性に多い症状だそうで、

どうしても男性の方が上席者になることの多い日本の多くの社会集団では、

単なるサボタージュであるとか、気合や根性の欠如であるとかといった、

マンガ的なまでの親父解釈で不当に扱われることが多かったそうです。

 

僕は幸いにも目立った気象病の症状はありません。

従って、この疾病とともに暮らす人びとの苦しみを、

共感的に理解することはできません。

 

それから別の番組で、吃音とともに暮らす人びとの新たな取り組みについてのレポートも見ました。

実は僕のパートナーは、

場面難発的な吃音とともに暮らしています。

彼女の苦しみも、理屈では理解したいところですが、

しかし共感的に理解することはなかなか難しい。

特にあやつは、

僕を非難するときには、それこそ立て板に水のごとくまくしたてることもあります。

でも吃音は場面や環境による影響を特に受けやすい、障害の一つだそうで、

なかなかそのあたりのことが周囲に理解されにくいことも、

吃音自体の直接的な困難と並ぶ、社会的な困難でもあるそうです。

 

健康であること、健全に暮らせていることは、ありがたいことです。

でも健康である者は、時に健康であることを当然の事態であると理解し、

健康とはいいがたい生活を送らざるを得ない人びとの苦しみを理解できないことが多いようです。

 

肝硬変を発症し、アルコール使用障害の診断を受ける以前の僕は、

過剰飲酒者の割には、健康そうに見える生活を送っていました。

幸いにも(?)長期の入院生活と、そこからの恢復過程を体験したことによって、

疾病とともに暮らす人びとの生活感を多少なりとも共感的に理解できるようになりました。

健康であることは、ありがたいことです。

しかし健康が絶対的な善ではありません。

批判的な考察を伴わない無邪気な善悪観は、時に犯罪的でもあり得ます。

 

この経験を無駄にしないためにも、

健康こそ健全な価値であるといった傲慢な価値観に対して、

常に批判的にとらえ続けていきたいと思います。