飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、今日も屁理屈?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
昨日は、僕の連続飲酒の遠因となった、週1回の昼呑み習慣について報告しました。
職場で停職3カ月の処分を受けた僕は、
処分期間中の精神的な辛さを紛らすために、
週1回利用していた電車の乗換駅で缶チューハイを飲み干していました。
飲酒の動機として、ネガティブな精神状態から逃避することが一つ、挙げられるでしょう。
人生の辛さ、渡る世間の憂さを、一時的な酩酊状態でごまかす、
逃避を目的とした飲酒行為です。
飲酒による逃避は、問題から目を背けるだけのことですから、
根本的な解決には全くつながりません。
従ってそのような飲酒は、本質的な安心をもたらすことなく、
陰気に深まっていくだけです。
そのような飲酒行為は、簡単に習慣飲酒の状態に移行し、
やがては連続飲酒という異常かつ悲惨な行為につながっていく可能性が高い。
僕の場合、停職期間の日中飲酒が直接、深まっていくことはなかったのですが、
十数年後の異常飲酒の種まきになったのは間違いなさそうです。
では、ただ単純に、飲酒のもたらすポジティブな効果を楽しむ、
美味しい料理をさらにおいしく楽しむ?
友人や家族との語らいの時間の楽しさをさらに高める?
いわば陽気な飲酒は、異常な連続飲酒とは無関係なのでしょうか。
これは簡単には答えは出ないと思います。
僕の事例では、量は常軌を逸していたものの、元々、ポジティブに飲酒を楽しんでいましたが、
そこにネガティブな動機に基づく飲酒行動が加味され始めました。
そしてその両方の動機は、いわば長い時間をかけて、負のシナジー効果をもたらしたような気がします。
つまり元々、飲める口であった僕は、辛さを紛らす酒の意味を知ることによって、
飲酒量や継続時間の閾値がどんどん拡大していったようなのです。
一般には陽気な酒は良い酒であるといわれることが多い。
本当に人生のポジティブな要素として飲酒を楽しめる人には、
適度な飲酒は、まさに適度なプラスの効果をもたらすことでしょう。
でも、人生には陽の要素も陰の要素もあります。
たとえ過半数の人びとが適切な飲酒を楽しんでいるのが実情だとはいえ、
誰の人生にも落とし穴があり、誰でもその罠に墜ちる可能性はありそうです。
もしかすると酒は百薬の長かもしれませんが、
でもすべての酒は、地獄のゲートウェイの側面もあります。
僕たち、ネガティブな経験値をもつものは、
折に触れ、自分たちの闇歴史について語るべきかもしれません。