僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

やっぱり僕たちの病気は、まだまだ理解されていない

飲酒歴40年、断酒歴6年と4カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、僕たちの生きる道・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今朝の朝日新聞(5月30日付)に、無視できない記事が掲載されていました。

「患者を生きる」という連載の、4340回目ですが、

2月から3月にかけてこの連載は、

アルコール依存症を発症した記者による、当事者闘病記を取り上げました。

今回から、この闘病記に対する読者からの反響を取材するということで、

今日は、連れ合いが当事者になってしまった二人のご婦人への取材記事でした。

 

ひとりの方は、依存症による若年認知症を発症された男性の奥さんで、

何度かの入退院を繰り返されたのち、生活圏内から酒を完全に遠ざけるために、

男性だけ、老人ホームに入居されているそうです。

しかしこの男性は、入居の翌日から帰宅を望まれ、

奥さんに迎えに来てほしいというメールを連投されているそうです。

男性の本音が、家に帰りたいというよりも、家に帰って酒が飲みたいであることは、

間違いありません。

奥さんとしては、心を鬼にして拒否せざるを得ないそうですが、

老人ホームへの入居費もバカにならず、不安を抱えているそうです。

 

もう一人の方の連れ合いさんは、教師だったそうで、

過剰飲酒のため、40代半ばで結核を患い、それから酒をやめていたということです。

ところが、新設校の校長を務めていた頃、

学校行事の打ち上げの席で、PTA の役員の方から、今日くらいはいいでしょうということで、

ビールを一杯、口にしたところ、

完全なる SLIP 街道まっしぐらの人生に陥ってしまい、

現在も若い頃と同じく、毎晩のように泥酔し、

家族の皆さんは、ひたすら嵐を耐え忍んでいるとのこと。

家族は今でも、ビールをすすめた PTA の役員の方を恨んでいるそうです。

 

残念ながら、どちらの事例も、

アルコール依存症の本質、そしてアルコール使用障害の悪魔のような危険について、

当事者も周囲の方もあまりにご存じなかった、あるいはご存じないが故の悲劇です。

 

僕もそうでしたが、

アルコール由来の健康障害は、まずは肝臓病を中心とした身体の疾患として現れます。

多くの場合、僕は使用障害と呼んでいますが、一般に依存症と呼ばれる精神疾患を伴っています。

 

内科医と精神科の専門家の連携が確保されている場合、

肝臓病の診断から使用障害の診断につながりやすいのですが、

そして僕もそのようなドクターたちの連携に助けられましたが、

内科の診断だけで終わってしまう事例もあるでしょう。

そして精神科の診断を受けることができたとしても、

当事者に自己の精神疾患を自覚する覚悟や度量がない場合は、

悲劇の基礎工事がなされてしまうのです。

 

僕たちの病気、精神疾患としてのアルコール使用障害は、

アルコールを一口でも体内に摂取してしまうと、

脳内の回路の優先順位に暴力的な変化が現れ、

人間としての判断力を失い、人間以外の生き物に堕してしまうという恐ろしい疾患です。

残念なことですが、この病気の恐ろしさは、まだまだ理解されていません。

薬物使用障害が非可逆的な病態であり、

いかなる外科治療によっても、

或いは薬物投与によっても、

そして本人の意志の力によっても、

決して改善されることはあり得ない、

悪魔の導きによって地獄が目の前に現れたかのような恐ろしさを纏っていることは、

なかなか伝わりにくい真実としか言いようがありません。

 

一口くらい大丈夫だろう、

この、一見、優しそうに響き、当たり前に思える誘いが、

多くの人びとを地獄の悲劇に突き落とす。

当事者である僕たちは、この恐ろしさをもっと語っていいと思います。

そして同時に、

断酒さえ貫けば、誰よりも楽しく、誰よりも充実した生活を送ることができることも、

誇りをもって高らかに歌い上げましょう。

 

断酒サバイバーとして僕たちには、二つのミッションが課せられています。

一つ、断酒ライフを貫くこと。

そしてもう一つ、使用障害の本質的な恐ろしさを伝えること。

僕たちには生き続ける意味と責務があるようです。