飲酒歴40年、断酒歴6年と4か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、40年間を振り返るノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
断酒ライフはご褒美に満ち溢れた生き方です。
僕自身は、まだ6年と少しの断酒歴ですが、
断酒ライフのもっている絶対的ポジティブ効果については、
自信をもって主張できます。
アルコール使用障害を発症している疑いのある人のみならず、
アルコールとうまく付き合えているように見える人たちにも、
断酒ライフはお勧めです。
しかし断酒ライフのポジティブな側面を全面的に肯定し、主張し続けることは、
世の中の多くの事柄は、そう簡単には白黒をはっきりさせることはできないからです。
そこで、僕たちが心身を傷つけてまで過剰に摂取していたアルコールについて、
そのプラス面についても考えてみましょう。
僕たちはアルコールの摂取が、ある種の官能を鋭くすると信じ込んでいました。
僕の場合、酒を飲みながら音楽を聴くことによって、音楽に対する陶酔感が深まるように感じていました。
僕たちはアルコールの摂取により、入眠がスムーズになると信じ込んでいました。
また僕たちは、複数の人間によるアルコールの共同摂取が互いの理解を深めると信じ込んでいました。
宴席の楽しさは、まさにこの感覚でしょう。
おそらくこれらのほとんどのアルコール摂取のもたらす、表面的なプラスの効果は、
アルコールのもっている麻酔薬としての効能に起因するものでしょう。
アルコールの摂取により僕たちの官能は、実際には鈍くなります。
官能や知覚が鈍くなったため、自分にとって都合の良い感覚情報だけが過剰に取り込まれるようになります。
そしてマヒした感覚の中で、非生産的な時間が実に能率よく消費されていきます。
人間は機械ではありませんので、すべての行動を効率だけで考えることはできません。
意識的に非効率的な行動に走ることによって、バランスをとっているのかもしれません。
そしてあえて無駄な時間を消費するという行為を遂行するためにアルコールは、
最適な触媒であり、パートナーだったということでしょう。
あえて無駄な時間を過ごすことによって、有益な時間の内容が濃密になるのであれば、
飲酒にはポジティブな成果があったといえるかもしれません。
しかし僕たちのこれまでの人生が間違いなく証明するように、
飲酒の繰り返しはアルコールに対する心身両面の耐性をもたらし、
無駄な時間が有意義な時間の意味を高めるという効果は、徐々に失われ、
耐性の高まりが心身の両面の機能の破壊につながっていくことになります。
無駄な行為の中に積極的な意味を見出そうとしてみましたが、
やっぱり駄目でした。
アルコールの摂取は、百害あって一利なしでしょう。
もちろん、百薬の長では絶対にありえません。
ガンコイズムに染まっていると非難されても、
断酒ライフのすばらしさを主張し続けるのみですね、僕たちの生き方は。