僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

規則って規則のためのものじゃないよね?

飲酒歴40年、断酒歴6年と5か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、俺の方がおかしいですか・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

 

尼崎市の職員が、住民の個人情報が入ったメモリースティックを紛失するというドジをかましたそうです。

しかも仕事を終えた後、飲みに行って、

あろうことか、そのあと公園?で眠ってしまい、

目が覚めた時にはカバンごと失っていたという体たらく。

 

よほど仕事のストレスがたまっていたのか、

それともこの人物は飲みに出ると、公園で眠ってしまう癖があったのか。

どちらにしても許される話ではないっすね。

 

ところで個人情報保護ということが常識のように言われだして、かなり経ちます。

僕はこの個人情報保護というやつについて、

どうも釈然としない感じをもっています。

 

確かに住所等の個人情報が、

本人の知らない間に、悪意をもって利用しようとする第三者の手にわたってしまうことは、

法律の力で阻止しなければならないことはわかります。

 

でも個人情報保護ということについて、

それぞれの個人のレベルでどのように考えるべきかということについては、

どうも人びとの間に温度差があるような感じがしてます。

そしてその温度差は、時にはマンガ的としか言いようのないような、

不都合をもたらしているような気もします。

 

僕が6年半前に入院した時に、

僕の勤務先の大学は、

僕の入院先についての外部の方からの問い合わせに対して、

個人情報保護の観点から、一切、答えなかったそうです。

 

その入院中の間、僕は二人部屋に長期入室していたのですが、

時々、相部屋さんが変わりました。

そしてベッドを隔てるカーテン越しにそれらの方々と話をするのですが、

何人かの方は、個人情報保護ということを盾に取り、

会話を露骨に拒否されました。

 

正直言って、僕を見舞いたいと思っていた人びとの好意に対して大学がとった態度は、

仕方なかったのかもしれませんが、寂しい結果につながりました。

退屈な入院生活の中で、

病室を共にするというご縁のあった方々とお話をしたいという僕の素朴な人恋しさは、

時に残酷な仕打ちを受けました。

 

公的な組織が法の精神を遵守し、法に従うことは当然であり、仕方のないことでしょう。

でも個人レベルのふれあいの場にまで、法でがんじがらめにされるしんどい事態って何なんでしょうね。

 

規則は、守ることが最終的な目的ではないと思います。

何か約束事を定めなければならない、そしてその約束事によって無作為に基づく悪い結果を未然に防ぐ、

それが規則の目的だと思います。

本来の目的から逸脱した、規則のための規則の厳しすぎる遵守は、

僕からは、大人としての判断力を自ら放棄した、愚かな態度に思うのですが、

僕がわがまますぎるんでしょうか。

 

どうも今のこの国の社会、

規則をあまりにも最上段に置きすぎる、判断力を放棄した大人が多すぎるような気がします。