僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

考えてみれば昔から苦手でした

飲酒歴40年、断酒歴6年と7か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、これもコミュ障?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

 

音楽仲間の一人とごたごたを起こしたことを一昨日、報告しました。

まだまだガキでした - 僕のワンノートサンバ (hatenablog.com)

この件、一応表面上は、和解が成立したカッコになっていますが、

多分、今月末のジャズ・フェスでの演奏を終えた後、

僕のグループ脱退という選択肢も含めて、一つの結論を出さなければならないと思っています。

それはそれとして・・・。

 

この仲間たちとの普段の連絡なのですが、

FaceBook のメッセージ機能を使っています。

使っていますといってしまうと、僕が主語になってしまいますが、

僕は使わされています、といった方がいいでしょうね。

 

皆さん、選曲やアレンジに関する提案を、FaceBook 上で盛んに交換されています。

それも1件のメッセージが投稿されると、

あまり時間をおかず、他のメンバーがレスを返します。

おそらくスマホで閲覧と入力をされているんだろうと思いますが、

ホンマに四六時中、スマホを確認しているんでしょうね。

 

僕ですが、このメッセージ交換にも乗り遅れています。

グループ名を決定する時にも、

皆さん、次から次へと盛り上がって、そのやり取りの中で決まっていったのですが、

僕はその間、一度も投稿しませんでした。

 

勉強や練習の合間を見てパソコンで皆さんのやり取りは確認しますが、

基本的にパソコソをツケッパにしておくことはしませんので、

進行中のやり取りの確認に、数時間の空白が生じることも多々、あります。

ま、このグループへの参加にあたっては、

何となく巻き込まれてしまったという経緯がありましたので、

若干、他人事感覚で付き合っていたのも事実です。

 

でも僕の中に、大事な意見交換をネットワーク上で行うことに対する、

本能的な拒否感があるのも事実です。

古いやつだとお思いでしょうが、

古いやつはフェイストゥフェイスのコミュニケーションにこだわるものでございます。

 

僕のネットワーク上でのテキスト交換による意見交換に対する嫌悪感は、

今に始まったことではありませんでした。

 

10年以上前の話になりますが、

勤務先の大学で、大規模なカリキュラム改革に取り組んだ年がありました。

そしてその改革のワークグループは、

僕も含んだ当時の若手教員たちによって構成されていましたが、

そのメンバーの大半が、積極的に電子メールによる意見交換を始めました。

 

その当時の僕も、パソコンの前にへばり付いたままというワークスタイルは嫌悪していましたので、

当然のことながら、仲間たちの意見交換に即時的にはついていけませんでした。

そしてデジタル空間で発言のない人間に対しては、

実空間での発言権も実質的にはく奪される傾向が強まっていきました。

何か疑問点や意見を述べても、

それは電子ネットワーク上でのやり取りで解決済みということで、

黙殺されるようになっていったのです。

 

僕のデジタルフォビア(デジタル嫌悪、あるいはデジタル恐怖症)の原点の一つがここにあるようです。

電子ネットワークは、草の根民主主義のすそ野を広げる可能性もありますが、

一方で、そこに参加しない、あるいは参加できない個人の権利を無視する危険性も秘めていたようです。

 

スマホの連続的な確認作業が要求される人間関係ならば、

僕はわざわざ、その輪に加わることはしません。

デジタル・ディスプレイを四六時中、注視するという生活は、

僕にはまともな人間の暮らしとは思えないからです。

せっかく断酒ライフに入門したことにより、さらに生き続ける権利を獲得できた以上、

つまらんことでまた心を壊したくはありません。

いいんです、いつまでもデジタル・ギャートルズで。がお~。