僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

ジャズフェス参加を通して考えたこと

飲酒歴40年、断酒歴6年と8カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、僕の今後について・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

繰り返しになりますが、24日、25日と、東近江市八日市で開催された、

びわこジャズ2022東近江に出演しました。

 

僕のエントリーは2組、

1組は、前にも少し触れた、歌唱力に問題がある女性ヴォーカリストとのデュオ、

そしてもう一組は、彼女も含めた女性3人がヴォーカルをとり、

バックを僕も含めた3人のジジィどもが固める、高齢者バンドでした。

 

正直に言いますと、どちらももともと、それほど乗り気ではなかったのですが、

本番が近づくにつれて、さらにやる気が薄れてきていました。

1日目のデュオでの出演、大幅な遅刻をかまし、本番ぎりぎりに会場入りしましたが、

そこは経験値だけは高いので、何事もなかったかのように、ステージをこなしました。

二日目の高齢者バンド、こちらは僕ともう一人のメンバー以外は会場に近くに前泊し、

大人の遠足状態で本番に臨んだこともあり、

楽し気な演奏に聞こえたことだと思います。

 

まだメンバーたちには伝えていませんが、

どちらのユニットも、これきりにしたいと思っています。

理由は簡単で、どちらのユニットも、これ以上、参加を続けていても、

イベント参加の機会は増えるでしょうが、音楽的にはマイナスの要素しか思いつかないからです。

 

他の参加者たちの演奏を聴きながらもいろいろ考えました。

一つ目の結論としては、

やはりアマチュアでも、音楽の基本ができている人と、

楽しいからジャズごっこバンドごっこをやっている人では、

明らかに異なります。

僕は、ジャズごっこバンドごっこを楽しむ、

趣味のアマチュア・ミュージシャンになるつもりはありません。

 

二つ目の感想、アマチュア・ジャズ・ミュージシャンの皆さん、

レパートリーがかぶりまくりでした。

ジャズは同じ曲でも同じ演奏になることはないので、

同じ曲を違うユニットが演奏することは、別に構わないのですが、

しかしあまりにもかぶりすぎでした。

 

唄物をメインに据えたバンドは、例えば、ムーン・リバーや枯葉を、

テクニック自慢のバンドは、スペインやコンファメーションを、

そしてファンキーで複雑なリズムを得意とするバンドは、チキンを、

ほぼ必ずと言っていいほど、演奏します。

マチュアだから、あこがれのプロのレパートリーを演奏する、

ま、当然のことかもしれません。

しかし、それは人前でやっていいことでしょうか。

 

誰かがすでに完成度の高い演奏を残している、

そのような演奏を模倣することについて僕は、

アートとしての意義は全く感じません。

アーティスト、表現者であるならば、自らの想い、自らの感覚、自らの本能をぶつけるべきです。

 

僕にとってそのような表現の手段が音楽であり、ピアノであり、歌であり、そしてジャズです。

僕にとって音楽とは、他の人とのなかよしを確認するためのコミュニケーション手段ではありません。

生意気を申し上げますが、僕は音楽のおかげで生き延びています。

せっかく生き延びること、断酒ライフを継続することができている以上は、

音楽とのかかわりを単なる楽しみの範囲に収めたくはありません。

 

一緒に参加したユニットから離脱すること、

そして他のアマチュア・ミュージシャンの演奏を聴いて考えたこと、

いずれも僕にとって原点を振り返ることの重大さを思い知らせてくれました。

 

着地点は正直言って、見えてはいません。

今は、僕にとっての基本的な表現手段である、

ピアニストとヴォーカリストとしての総合力の向上に努めていきます。