僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

みんな自分のことですら責任を取りたくないのかも

飲酒歴40年、断酒歴6年と9カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、日本人をディスる・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

NHK だったと思いますが、夕方のローカルニュースの中で、

戸外でのマスク着用問題を取り上げていました。

政府は、戸外でのマスク着用は、基本的に必要ないという方針を出していますが、

その番組のアンケート調査では、

戸外でもマスクを着用しているという人の方が、まだ多数派でした。

 

正直、僕には共感も理解もできません。

僕たちが通常の生活の中で、

ウィルスに感染している人と戸外で会話を交わす機会、

それも感染の可能性があるかもしれない至近距離で話をする機会があるでしょうか。

感染している可能性のある人と戸外で出会うことはあり得るでしょう。

でもその人と飛沫感染の可能性のある至近距離で話をしなければならないことはあり得るでしょうか。

おそらくないでしょう。

一体、皆さん、何を恐れているのでしょうか。

 

とある専門家の次のような仮説は興味深く思いました。

日本では、マスクの着用が法的に行政的にも義務化されることはなかった、

むしろリスクの可能性はできる限り除去しなければならないという意識が、

一般市民の間に自発的に広まってしまったので、

誰にもやめ時を指示することができないのだそうです。

 

やっぱり、同調圧力が諸悪の根源のようです。

誰でもウィルスに感染する可能性はあります。

敵の姿は簡単には確認できません。

しかしこの国では、ウィルスに感染した人に一定の非があるかのような感じ方が、

どうもいつまでも支配的なようです。

青信号、誰も渡らないから渡れない。

何が何でも、欧米に学べなぞという気はありません。

しかし自分の行動の是非については、自分で考える、

こんな当たり前のことをみんなで放棄している日本人、

精神的無国籍ディアスポラの僕の目から見ると、

かなり滑稽です。

マスクは必要な時に着用すればいい、

そしてその判断基準に絶対性はあり得ないと思います。