僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

痛みの向こう側が見えない病

飲酒歴40年、断酒歴6年と9カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、たまには後ろ向き・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

多分、僕のこのブログは、

断酒ライフ関係のブログの中でもポジティブなテイストが強い方だと思います。

特にブログの締めの部分で、

断酒ライフの素晴らしさを語り、

今後も継続していく決意を述べている割合は、

かなり高いんじゃないでしょうか。

 

意図的に前向きな方向性を纏わせているつもりはありません。

毎回、心の底から断酒ライフに入門できたこと喜んでいます。

素直に前向きでいられることを恥じる必要はないですよね。

 

でも時には、飲酒者時代の黒歴史を振り返ることも大事でしょう。

飲酒時代の僕は、本来は感じるはずのない肝臓の痛みを感じていながら、

その痛みの意味する深刻な状態に全く思いが及ばないという、

およそ生きていることの値打ちすら認められない、

愚かな状態を何回も経験しました。

 

特に深酒が連続している最中の昼日中に、その感じるはずのない痛みはやってきました。

背中の右半身の腰よりも少し上くらいのあたりの、

内臓が内部から溶けていくような不気味な痛さでした。

おそらく、物言わぬ内臓であるはずの肝臓のあたりでしょう。

肝臓が自壊作用を起こしているような、

そして雑巾を絞るように肝臓を締め付けられているような、

いやな感覚が、背中だけではなく、

胃の底から喉を押し上げてくるような感覚もありました。

 

肝臓に感覚機能はないはずですから、

僕の感じていた不快な感覚は、

肝臓を拠点とした不具合が全身に広がっていく際に生じる痛みだったのかもしれません。

 

まともな官能判断意識があれば、

この痛みが深刻な症状に基づいた危険信号であることが即座に判断できたはずです。

しかし習慣飲酒者から連続飲酒者に変身しつつあった当時の僕は、

この危険な不快感ですら、新たな飲酒によって流し去ろうとしていました。

実際、背中に強烈な痛みを感じながら焼酎をストレートであおり、

一時的に痛みの強まりを感じながらも、やがては麻痺していく感覚によって、

生きていることに対する冒涜ともいうべき間違った安心感の中に没入していました。

 

やはり薬物使用障害は、どうしようもなく危険な疾病状態です。

僕は間違いなく、地獄の入り口をのぞき込んでいました。

よく引き返してくることができたものだと思います。

この奇跡的な生還を自覚するためにも、時に僕たちは、

自らの黒歴史体験を振り返るべきでしょうね。

 

闇を見つめることで、光の素晴らしさを再確認しようと思います。