僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

断酒と文化理解

飲酒歴40年、断酒歴6年と11か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、今日は少し真面目な話・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

唐突ですが、僕は、イスラームに関心があります。

 

恐らく東アジアの人間にとってイスラームは最も縁遠い宗教の一つでしょう。

朝鮮半島やこの列島国においてムスリムは全くの少数派ですし、

中国においても、恐らくかなり西の方に行かないと、それほど多くはない。

 

僕の生活の中では、

僕の勤務先の大学のインドネシアからの留学生の中にムスリムの学生がいることくらいかな、

イスラームとかかわることがあるとしたら。

 

しかし僕のイスラームに対する関心のきっかけは案外古く、

2001年にアメリカで起きた、同時多発テロと呼ばれた事件までさかのぼります。

 

あの事件は、本当にショックでした。

しかも進行形の中で報道を見ていたこともあり、

これから世界はどうなってしまうんだろうと、心から心配しました。

 

そして同じ年に発行された、"How did this happen" というタイトルの、

同時多発テロ事件を多角的に検証した本を購入し、読みましたが、

その中のいくつかの論文は、

事件の本質の基底に、西欧社会とイスラーム社会との文化的、政治的、

そして宗教的な軋轢があることを指摘していました。

 

How did this happen

 

そしてある論文は、

イスラームキリスト教のルーツは全く同一であり、

同じ世界観を共有しているのにもかかわらず、

一方が他方に対して、過剰なまでに抑圧的であったことが事件の本質にあったと論じていました。

 

僕はこの論文の主張にショックを受けました。

そして西欧的な価値観を拠り所として研究等に従事してきたことに疑問を感じ、

イスラームについて知らなければならないと考えるようになりました。

 

イスラームは、特にこの国においては、かなり曲解されているように思います。

例えば、多くの人びとは、イスラームといえば、

 

一日に5回のお祈り

豚肉を食べない

アルコールは絶対に体内に摂取しない

一生に一度、メッカに巡礼に行かなければならない

 

等の、

現代社会生活とは馴染みにくい教義を強制する宗教のように理解されているきらいがあります。

 

でもこれらは、イスラームの中では枝葉末節の問題で、

それほど重要ではないようです。

 

まだまだ不勉強ですが、

僕はイスラームの最も重要な教えは、

喜捨の精神を大事にしていることにあると理解しています。

富めるものが社会全体のために、喜んで捨てる、

すなわち社会全体による社会全体のための福祉の精神こそが、

イスラームの本質の一つじゃないかなと思っています。

 

もちろん、僕はムスリムではありませんし、

アラビア語も片言以下の知識しかありません。

でも、世界中で15億もの人びとが、イスラームの教えに従って生活しているという事実は、

今後の世界を生きていくうえで決して無視はできません。

 

飲酒者のころであれば、

イスラームの断酒の教えに対してまずは力んで構えてしまっていたと思います。

僕がイスラームに関心をもったのは、飲酒者として飲み散らかしていたころですが、

断酒ライフに入門したことによって、イスラームに対する妙な色眼鏡はなくなりました。

 

酒は文化だという主張もありますが、

飲酒という習慣によってアクセスしてこなかった文化もあったようです。

クルアーンも少しづつ、読んでみようかな。

 

断酒ライフは、知的好奇心を欲張りにするようです。