僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

トランペットが嫌いだ

飲酒歴40年、断酒歴6年と11か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、俺がひねくれているのか・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

 

唐突ですが、僕はトランペットが嫌いです。

 

まず一つ目。

これまで何人かのジャズ・トランぺッターとバンドを組んだり、共演してきたりしましたが、

音楽的にいい思い出がありません。

 

一人は一丁前に理屈をこねる癖に、プレイがムッチャしょぼかった。

別の一人は、プレイは悪いくないんですが、音がでかすぎた上に、

曲と曲の間の僕の MC スピーチの際に、

「何言うとんねん、ボケ」などと、ようわからん、不快な突っ込みをかましてきました。

 

他のプレイヤーたちも含めて、どうも僕は、トランペット吹きと相性が悪いようです。

 

二つ目。

トランペットという楽器に対する世間一般のイメージと、

僕にとっての楽器としてのトランペット観が、

どうも合いません。

 

どうも多くの人びとは、

クラシックのオーケストラにおいても、ポップスの大編成のアンサンブルにおいても、

トランペットが花形の楽器であるかのように思ってらっしゃるようですが、

実際にはトランペットは、

金管楽器という一部の楽器群の中での高音を担当するセクションでしかありません。

特にクラシック音楽の世界では、トランペットの出番は、どちらかといえば少ない。

確かに一番の盛り上がりにトランペットが活躍する曲が多いので、

花形の中心楽器のように思われるかもしれませんが、

誤解といった方がいいでしょう。

 

このことは、僕がトランペットを嫌いになる直接の理由とは言えないのですが、

多くの人びとの音楽の聴き方や捉え方に対して、僕は勝手に不満を感じているようです。

ホンマに、ちゃんと曲を聴いたうえで判断しているのかいという、

殆ど大きなお世話レベルの反感を、僕は感じてしまいます。

要は、僕は妙に自分に自信を感じている、タダのへそ曲がりに過ぎないのでしょう。

 

今日は1月17日、阪神大震災から28年がたったんだそうです。

そしてニュースの中で、必ずこの日に、

丘の上からトランペットを演奏される方のことが取り上げられたのですが、

何故かその演奏映像を見ながら、そういえば俺は、トランペットが嫌いやったことを思い出しました。

 

僕のへそ曲がり感性の基礎には、

お定まりのイメージの押し付けを無批判に受け入れることに対する抵抗を何よりも大事にしたいという、

僕なりの困った美学があります。

ただのへそ曲がりにも五分の魂ということで、ご勘弁ください。