アル症と肝硬変、表向きは健康です、リスボン、58歳。
本日もリスボンの、雑感のみ・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
今日から本年度、前期の授業、始まりました。
とりあえず月曜日のリスボンは英語の先生で、2科目担当します。
僕の勤めている大学では、ほとんどのいわゆる教養科目が選択制になっています。
つまり学生の立場に立てば、気に入った科目だけで卒業に必要な単位を稼ぐことができるようになっています。
つまり学生の立場に立てば、気に入った科目だけで卒業に必要な単位を稼ぐことができるようになっています。
したがってめんどくさい割には単位数の少ない外国語科目は、人気薄になるんですね、どうしても。
僕が今日担当する科目の一つも、先週までは希望登録者がたったの一人でした。
一人ですので、ほとんど家庭教師のノリで、彼女の希望に沿った授業をするかと考えていたのですが、
一人ですので、ほとんど家庭教師のノリで、彼女の希望に沿った授業をするかと考えていたのですが、
本日、履修者が増えて、一応、演習科目として、かっこのつく人数になりました。
正直、ほっとしました。
さてもう一つは全くの入門科目で、それこそ中学1年の内容の復習のような授業です。
以前にも書きましたが、今の大学1年生、というよりも高卒生の学力、ほれぼれしますよ、
よう、高校の先生方、この子らに卒業証書を与えたな、と、感心しきりです。
よう、高校の先生方、この子らに卒業証書を与えたな、と、感心しきりです。
そんな若者たちに、外国語を学ぶことの有意義さを伝えなければなりません。
そこで、この科目について僕が心がけているのは、
学生たちに積極的に声を出させる、
できる限りセルフ・ラーニングを経験してもらう、
言葉の世界に間違いはないということをしみこませる、
できる限りセルフ・ラーニングを経験してもらう、
言葉の世界に間違いはないということをしみこませる、
といったあたりです。
日本の若者が英語をはじめとする外国語が苦手なのは、
外国語の学習が勉強という強制性をもっており、
正解にたどり着く努力が要求される、
実践的な効果が想像できない、
といったあたりに理由の一端があると僕はにらんでいます。
正解にたどり着く努力が要求される、
実践的な効果が想像できない、
といったあたりに理由の一端があると僕はにらんでいます。
ですので、正しい間違っているという観点ではなく、
自分が感じたことを自分で使える英語で表現するという能動性に重点を置きます。
自分が感じたことを自分で使える英語で表現するという能動性に重点を置きます。
僕はできる限り英語で授業を進めます。
僕自身も発音の不確かさは気にしないようにします。
(発音には自信はあります)
僕自身も発音の不確かさは気にしないようにします。
(発音には自信はあります)
ということで1回目の授業に臨んだのですが、
今日のために作成したスライドをコンピューターに入れておくのを忘れていたために、
授業の組み立てを思い出しながら、
チョークまみれの、昭和スタイル丸出しの授業になってしまいました。
今日のために作成したスライドをコンピューターに入れておくのを忘れていたために、
授業の組み立てを思い出しながら、
チョークまみれの、昭和スタイル丸出しの授業になってしまいました。
すみません、今日は特にアルコールに関する話題はありません(っていうかいつものこと?)。
幸いにも飲酒願望はほとんどありません。
でも油断せずに
幸いにも飲酒願望はほとんどありません。
でも油断せずに