飲酒歴40年、断酒歴6年と4カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、人生の前半を振り返る・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
この頃、テレビ等で高齢者が取り上げられると、
その型の年齢と外観、特に顔の表情が気になります。
特に80を過ぎた方々については、
どんな歳のとり方をされたか、そしてそれが表情の老化にどのように表れているかが、
とても気になります。
僕は今、レベル63ですが、このレベルにしては若作りを貫けていると思っています。
でも、この若作りぶりっ子をいつまで継続できるか、
いつかは歳相応になってしまうのではないかと危惧しています。
不自然に若さを保とうとは思いませんが、
気もちを若くもつこと、そして適度な運動の継続は心がけていこうと思っています。
あと1年半で、人生の一つの区切りを迎えます。
少しづつ、振り返りながら、後半の人生の備えとしましょう。
僕はいまだに、仕事をしてきた人生だったという自覚がありません。
仕事というか、労働というか、それも人生の義務としての労働というやつですが、
そのような仕事とは適度に距離を置いて、
ずーっと好きなことをして遊び続けた人生だったような気がしています。
その僕の好きなことというのは、
大きくは芸術に関わることであり、
一つの柱は、芸術に関する理論構築に従事し、その成果を若者たちに伝えることでした。
幸いにしてそのようなことを一つの生業として認知し、
収入を保証してくれるポジションにつくことができました。
そのポジションでの僕の公式の肩書というか、役割は、
デザインを中心に造形芸術の歴史と理論を研究し、教育することでした。
僕の意識の中では、
芸術全般について広く考え、
そして可能な場合は実践活動によって理論的な恒久の根拠を確認することが、
僕の仕事の中身であると理解していました。
その実践活動の中には、音楽表現の分野も含まれます。
芸術表現の実践という面に関しては、
僕は造形芸術、いわゆる美術については、
全くの素人ということはありませんが、
技術や実績の面においては、
僕の音楽活動の比ではありません。
僕は、専門的な教育は全く受けていませんが、
独学でジャズを中心としたピアノ奏法を習得し、
そしてこちらも独学ですが、作曲法や和音の理論等に習熟しました。
しかし、おそらく僕の前半期の人生については、
造形の専門家として認知され、
音楽の専門家として認知されることはないようです。
そして多くの人は、僕の音楽活動は、趣味の領域に属すると断定されることでしょう。
他人に何を言われようとも気にしなければよいといえばよいのですが、
しかし僕は、音楽に向き合ってきた僕の人生を、
趣味という小市民的な範疇の中に閉じ込められてしまうことが、どうにも我慢ができません。
たしかに僕の前半期の人生において、生活に必要な収入を確保してくれたのは、
造形芸術の専門家としての資質でした。
でも僕は、造形芸術に対する理論研究と同等に、あるいはそれ以上に、
音楽に真剣に取り組んできました。
決してご趣味の領域の中で、ちまちまと楽しんできたわけではないのです。
もっとも逆に開き直っていえば、
社会的に認知され得る活動も広い意味での趣味として楽しんできた、
その楽しみに何故かラッキーなことに、収入がついてきたと思えばいいのかもしれません。
音楽を趣味だといわれて無駄に怒りを覚えるよりも、
遊び倒した人生を自慢し、そしてさらに遊び続けることを高らかに宣言した方がよさそうです。
僕のこのお気楽人生観には、
日本人の表層的な生真面目さを貴ぶ精神性に対するちょっとしつこいまでの反感があるかもしれません。
故郷なきディアスポラとしての自負や意地がその根底にありそうです。
ごめんなさい、一人で怒ったり納得したりしてます。
よろしければ、これからも僕の人生ワガママぼやき節に付き合ってください。