本日もリスボンの、わがまま気まま・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
さて、タイトル通りです。
幸いにも、再飲酒欲求というほどのことはありません。
ただ、1年近く我慢してきたんだから、1回くらいどうもないよ、という、
悪魔のささやきが時々、よぎります。
ただ、1年近く我慢してきたんだから、1回くらいどうもないよ、という、
悪魔のささやきが時々、よぎります。
飲みたい、というよりも、
ここで飲んだら、弛緩と興奮が同時にやってくるという、あの魔の瞬間が再体験できるよな、
という、不埒な感覚です。
ここで飲んだら、弛緩と興奮が同時にやってくるという、あの魔の瞬間が再体験できるよな、
という、不埒な感覚です。
特に、食事ネタには反応してしまいますね。
でも、でも、でも!
ここで書いて、はっきり自らを戒めましょう。
あの弛緩と興奮の同時襲来は、ほんまに一時的な楽しみにすぎません。
そして、立派なアル症であるお前は、必ずや食事の時間だけで飲酒が止まることはないのじゃ。
眠りにつくまで、つまり、ある程度、正体を失うまでは、飲み続けるであろうぞ、
そして、これまた予言しておこう、
続く日々が地獄になることを。
眠りにつくまで、つまり、ある程度、正体を失うまでは、飲み続けるであろうぞ、
そして、これまた予言しておこう、
続く日々が地獄になることを。
たとえ、夕方からと時間を区切ったとしても、
やがては、5時が4時に、4時が3時に、そして昼日中に、
そして、いずれは起床とともに、悪魔の水に脳みそも内臓も晒し続けることになるのじゃ。
やがては、5時が4時に、4時が3時に、そして昼日中に、
そして、いずれは起床とともに、悪魔の水に脳みそも内臓も晒し続けることになるのじゃ。
たとえ、経済的なバックボーン目当てとはいえ、
お前を支えとしてきたパートナーやこどもたちからは、
今度こそは見捨てられること、必定であろう。
お前を支えとしてきたパートナーやこどもたちからは、
今度こそは見捨てられること、必定であろう。
そして入院治療費のバックアップも、再発・再入院ということから、
以前のように手厚くはならぬぞ。
以前のように手厚くはならぬぞ。
醜態を晒しながら、死を迎える覚悟はあるのか。
そこまで悪魔の水に自らを預けることができるのか。
そこまで悪魔の水に自らを預けることができるのか。
神様、お救いください。
断酒ライフのもたらしてくれる楽しさ、そして幸せを忘れません。
神様、たとえ一瞬とはいえ、このようなあってはならぬ想像に身を任せたこと、お許しください。
断酒ライフのもたらしてくれる楽しさ、そして幸せを忘れません。
神様、たとえ一瞬とはいえ、このようなあってはならぬ想像に身を任せたこと、お許しください。