僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

どこかで掛け違えていたら・・・

明日(23日)は、朝一コマの授業を終えた後、奈良に向かい、いつものイトーヨーカ堂でライブします。
病人ですが、アクティブ・アル症者・肝硬変、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、無理難題・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

さて、タイトルの「どこかで掛け違えていたら・・・」という話ですが、

僕の人生のかなり早い時期に両親や親戚一同がとある選択をしたら、
僕の人生は無茶苦茶になっていたかも、
という話です。


一つ目は、今頃、間違いなく人間としての扱いを受けることなく命を落としていたであろう、という予想です。

僕自身は、在日の3世、父方の親族は韓国系なのですが、母方は北朝鮮に本籍があります。

そして僕が幼かった頃(昭和40年前後)は、北と南では、今となっては不思議なことですが、
北朝鮮の方が明るい未来が開けているように伝えられていたのです。

幼い頃、親戚の家で、朝鮮グラフという雑誌を見ました。
そこには、日本から北朝鮮に帰国した同胞たちが、北朝鮮の建国の第一線で活躍しているという記事が掲載されていました。
そのような話はなかったと思いますが、もし、我が一族が北朝鮮の帰国事業に参加していたら、
僕たち帰国子女達は、北朝鮮国内において敵対階層という位置付けがなされ、人権はおろか、人間性も奪われる生活を余儀なくされていたことは、火を見るより明らかです。

で、もし、韓国に帰国していたとしたら・・・

こちらはなんとも言えません、成功していたかもしれませんし、
田舎の片隅で、あるいはソウルのまん真ん中で貧困を極めていたかもしれません。

今韓国では、朴大統領の不正をめぐって国中が大きく揺れています。
確かに韓国は、華やかな暮らしをしている人たちがいる一方で、
首都のソウルでさえ、とんでもない貧乏暮らしを強いられている人たちがいます。

これまで3回ほどソウルを訪ねましたが、
例えば、グルメにとって楽しい買い物ができると評判の東大門(トンデムン)市場の界隈も、
少しだけ裏道に入れば、韓国社会の目を背けたくなるような現実に直面させられます。

ほとんど雑巾としか言いようのない衣服に身を包んだ老人が物乞いをしている、それがソウルの裏通りなのです。

僕は日本に帰化しましたが、しかしそんな僕の中にも朝鮮半島のDNAが染み付いていることは間違いありません。

祖国ということはできませんが、北の現実も南の現実も、必ずしも他人事ではないのです。

亡くなった母親の家族は、北に渡りました。
母の父が亡くなったという知らせの後、全く音沙汰がありません。

父親の一族は、一応、釜山の山村に住む、両班(韓国社会の官僚の家系)ということになっていますが、
ほんまかどうか。

朝鮮半島出身者は、見え張りの嘘つきが多いのです。
そして僕もその嫌なDNAは、受け継いでしまいました。

僕と朝鮮半島の結びつきについては、こどもたちには形式めいたことしか伝えていません。
僕のこどもたちがハーフであることは間違いありませんが、しかし僕自身が日本生まれの日本育ちである以上、娘と倅の中の半島的要素は、おそらくごく僅かでしょう。

国際社会で活躍する朝鮮出身者は少なくありません。
しかし、少なくとも、今現在、二つの国は、無茶苦茶な状態です。

在日の僕たちは、在日という新たなアイデンティティーの中で活動していくべきなのでしょう。
国籍はどちらであろうと。

話が少しばかり重くなりました。

でも

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。