僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

ディアスポラが語ります

飲酒歴40年、断酒歴6年と6か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、ちょっと真面目な話・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

先週で教室で行う対面での授業は終わりました。

あとは学期末恒例の苦行、採点地獄が待っています。

しばらくは少し外出を控え、自宅での業務に専念することになりそうです。

殺人的な酷暑ですから、これはこれでラッキーということでしょうね。

 

そして今週は、もう一つ、仕事に取り組みます。

今週末の土曜日(8月6日)、地域の自治会長さんたちを対象とした研修会で、

人権に関する講義を行うことになってまして、

今日からそちらの準備にも取り掛かりました。

 

 

講義のタイトルですが、ちょっとイキってしまいました。

「一人のディアスポラの目に映る日本社会の特殊性」、

これがそのタイトルです。

 

ディアスポラとは、まだ十分に定着した概念ではありませんが、

故国を追われた人びとや、あるいはそもそも故国をもたない人びとのことを指します。

Diaspora 、英語圏ではまず、ユダヤ人のことを指しますが、

最近の社会学やジャーナリズムの分野では、

華僑やインド系の移民、

そして僕たちのような在日韓国・朝鮮人のことを指すことも増えてきています。

 

そして「一人のディアスポラ」とは、僕のことです。

在日3世として生まれた僕は、現在は帰化し、日本国籍をもっていますが、

気もちの上では日本人になったという感覚はありません。

そして僕の場合、そもそも、韓国人であった、朝鮮人であったという意識もあまりありません。

僕は僕自身を、こどものころから在日韓国・朝鮮人であると認識していました。

ただし、朝鮮半島を故国と感じたことは一度もありませんし、

いまだに朝鮮語は理解しません。

 

つまり僕は、どこかの国に帰属しているという意識が希薄なのです。

そんな奇妙な自己意識をもってしまった僕にとって、

日本社会のもっている、日本人が気付きにくい特殊性についてお話しし、

そういった固定的な思い込みが、日本人の人権意識の遅れにつながっていますよという、

少しばかり、ケンカ腰のお話をする予定です。

 

僕は日本で生まれ、日本の公立学校で学び、今でも日本社会で暮らしています。

ですから基本的に僕の意識は、一般の日本人の皆さんとそれほどは変わらないはずですが、

しかし、帰化という、少しばかり特殊な経験をしたことと、

西洋の芸術や思想について研究することを生業にしたこと、

そしてここ10年ほどのことですが、積極的に海外の都市を訪ね歩いた経験等から、

見えてきた日本的な特別さといったものがあります。

 

もちろん、聴いてくださる皆さんにケンカを売るつもりはありません。

僕は僕なりの仕方で今後の日本社会や世界の在り方について考えていること、

そして人権擁護レースでかなりの周回遅れになってしまったこの国ですが、

今ならまだ間に合うこと等を、お話ししようと思っています。

 

僕のディアスポラ人生と飲酒の関りついては、またゆっくり書いてみたいと思います。