僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

年賀状

もうすでに1月3日、最初から希薄な正月気分とは、さらに縁遠いリスボン、58歳。今年もアル症と肝硬変、2大アルコール由来疾病と仲良くしていきます。

本日もリスボンの、わがまま・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

毎年いただく年賀状の数が少なくなってきています。

もっとも僕から出すことはありませんので、当然といえば当然ですが。

今朝のネット・コラムで、こどもの写真を全面的に扱った年賀状に関する話題がありました。

その手の幸せに満ちた賀状は、
そのこどもと会ったこともない未婚者、あるいは自身にこどものいない人にとっては、

「だから何なんじゃい」
「悪かったの~、まだ独身で」
「すまんの~、まだうちはこどもおれへんのじゃ」

といった反感を感じさせてしまう、ある種、テロリズム的な感情を呼び起こすことがあるそうです。

出す方にしてみれば、
「久しぶりやけど、おかげさんでうちの子ら、こんなに大きくなってん、おおきに」
という、全くと言っていいほど悪気のない幸せ感に基づくものでしょう。

しかしもらう方にしてみれば、
会ったこともない人物(こどもたち)の写真を何のコメントもなしに見せられてもな~、
といったところでしょう。

うちはおかげさまで、ごく普通に幸せさせてもらってます、

という感情は、ごく普通の感覚でしょうが、

それが印刷された年賀状というメディア形式を取った途端に、
人によっては地雷に化けてしまうんですね。

おそらく大量に印刷された年賀状という形式に一つの盲点がありそうです。

一言でも手書きのコメントが添えられていたら、また様子も変わったでしょう。

あるいは、たとえベースには大量印刷を用いるにしても、
相手によって少しずつ文面を書き加えるといった配慮があれば、
あるいはパーソナルな郵便物の基本事項を尊重しているのであれば、
受け手の印象も変わりますよね。

僕が自分から積極的には年賀状を出さない一つの理由としては、
大量印刷という賀状のあり方に、少なからぬ疑問と居心地の悪さを感じていたからでもあります。
(今、アル症とともに暮らしています、という僕自身にとって一番大事な現状も、伝えられる人とそう出ない人がありますからね。)

SNSにしても大量印刷の郵便物にしても、
個人情報の発信には気をつける必要がありますよね。
(僕が年賀状を自分から出さないのは、面倒くさがりというのが、一番大きな理由ですけどね。)

今年もこの「断酒の日記」、注意しながらも大胆にアップしていこうと思います。

ということで皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。