本日もリスボンの、有害無益・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
単純な色見本にも見えますよね、
そして構成はなんとなく不安げなアンバランスさを醸し出しています。
そして構成はなんとなく不安げなアンバランスさを醸し出しています。
誰にでも描けそうなこの絵、おそらく値段はつかないと思いますが、
仮に間違ってアート・マーケットに出てくれば、億以上の値が付くでしょう。
仮に間違ってアート・マーケットに出てくれば、億以上の値が付くでしょう。
間違いなく、近代から現代にかけての西洋美術史の最も重要な作品の一つです。
僕は大学と大学院で美術史、並びにデザイン史を勉強し、美術大学で教えることになりました。
しかし以前にも書きましたが、僕は決して絵が上手いわけでも工作が得意なわけでもありません。
むしろ、あきれるほど、ぶきっちょです。
むしろ、あきれるほど、ぶきっちょです。
美術業界で生きていることが不思議なくらいです。
いろいろな図鑑を見るのが好きな子供だったぼくは、美術の図鑑も愛読書の一つでした。
そしてその西洋美術史の項目の最後のほうのページに20世紀のアートというコーナーがあり、
そこにモンドリアンの作品が掲載されていたのです。
そしてその西洋美術史の項目の最後のほうのページに20世紀のアートというコーナーがあり、
そこにモンドリアンの作品が掲載されていたのです。
小学生の頃の僕の正直な感想、
「え、こんな誰でも描けそうな絵のどこがすごいの?」
そして何故この単純な色見本みたいな絵がすごいのか、暴いてやろうという野望をなぜか抱きました。
おそらくこの野望が、僕の人生の原点だったんですね。
つまり、何かに感動してそこに意味を見出したというよりも、
世間、というかエスタブリッシュメントというか、上から押し付けられるかのような見方に対して疑問を抱き、
その疑問に納得できる答えを探してやろうという、
いい意味でオタクシビリティーにあふれた、
しかし反骨の精神にも満ちた、
素直なへそ曲がり感性こそが、僕の人生を貫いていたのです。
世間、というかエスタブリッシュメントというか、上から押し付けられるかのような見方に対して疑問を抱き、
その疑問に納得できる答えを探してやろうという、
いい意味でオタクシビリティーにあふれた、
しかし反骨の精神にも満ちた、
素直なへそ曲がり感性こそが、僕の人生を貫いていたのです。
おそらく、アル症や肝硬変になるまで飲酒が深まってしまったのも、このことと無関係ではなさそうです。
俺は自分が納得できることをしたいだけやのに、何で世間はわかってくれへんのや・・・
という、ある種、逆恨みポテンシャルゆえに、俺のことをわかってくれるのは俺だけや、
と不完全な自己完結の殻に閉じこもるための薬品が酒だったようです。
という、ある種、逆恨みポテンシャルゆえに、俺のことをわかってくれるのは俺だけや、
と不完全な自己完結の殻に閉じこもるための薬品が酒だったようです。
なぜそんなに自己チュウ感性が深まったのかはまだ明らかではありません。
中途半端に楽器の演奏が小器用だったことと関係があるかもしれませんが、また考えてみたいと思います。
中途半端に楽器の演奏が小器用だったことと関係があるかもしれませんが、また考えてみたいと思います。
今はアート大好き不良高齢者ですよ、立派に。
酒を飲まずともアートも音楽も楽しい、お得な生活を送っています。
皆さんも断酒ライフゆえのお得さを満喫しましょう。