アル症と肝硬変、でも生まれ変わりつつあります、リスボン、58歳。
本日もリスボンの、ドッキリ・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
ようやく水ぬるみ山笑う季節になり、早咲きの桜の撮影をしようと車を走らせていたところ、
とある建物の解体工事の途中を見かけてしまいました。
とある建物の解体工事の途中を見かけてしまいました。
今日は日曜日のため、作業は行われていません。
そこで、予定を変更し、この建物を撮影することにしました。
そこで、予定を変更し、この建物を撮影することにしました。
建物は人が居住し、使いながらメンテナンスを施すことで、原形を保つそうです。
この建物は、おそらく耐用年数に達したのでしょうね。
この建物は、おそらく耐用年数に達したのでしょうね。
僕たちは僕たちの心と体を、好き放題することによって、
並大抵のメンテナンスでは維持できないところまで追い込んでしまいました。
並大抵のメンテナンスでは維持できないところまで追い込んでしまいました。
最近の僕は、再飲酒願望がほとんど現れないことをいいことに、
少しばかり傲慢になっているかもしれません。
少しばかり傲慢になっているかもしれません。
少なくとも僕の肝臓は、この建物の床と同じくらいに修復不可能になっています。
心も、ほんのちょっとの油断で、奈落の底へと簡単に転がり落ちるはずです。
人間をはじめとするほとんどの生き物は、傷んだ体を自ら修復できる能力をもっています。
しかし僕たちは、部分的にではありますが、その大事な能力を自ら放棄してしまったのです。
生き物としてとんでもないばち当たりなやからです。
でも、生きることを許されました。
でも、生きることを許されました。
僕たちは建物と異なり、ポンコツになっても存在が許されています。
感謝を感じつつ