僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

失敗した人生?

花粉症デビュー間近か、アル症と肝硬変、でも(カラ)元気です、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、世間は無常・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

本日より、本格的な学務が始まりました。
今日は、260名あまりの新入生を前に、授業内容全体のガイダンスを行いました。

(ここから内緒話、拡散・口外しないでください。)

基本的に私立の大学は、入学定員よりも少し多めに学生を入学させます。

もっとも、その手はずも決して簡単ではありません。
どのくらいの合格者が他の大学への進学を選択するのか、あるいは逆に言えば、どのくらいの歩留まりが見込めるのか。
神のみぞ知る、難しい判断を迫られます。

そして今年の僕の勤務する大学、予想以上に多くの合格者が入学手続きを済ませてくれたのです。
実は定員は200名、常識的に許容される上限は、230名程度といわれています。

つまり、260名は入学者を取りすぎているのです。

しかし今からお断りすることもできません。
我々教室で学生たちと相対する担当者が何とかするしかないのです。

大教室型の授業であれば、採点業務以外はどうということはありません。

問題は、個人個人の顔が見える演習や実習です。
教室の収容定員や設備投資、材料費等を考えると、結構、面倒ですよ。
しばらくは、この面倒さに対応することにおたおたさせられそうです。

さて、経営的な観点から見れば、学生増は当然授業料収入増につながりますから、めでたいことです。

しかし労働者サイドから見ると、その経営状態の改善が即、労働待遇の改善にはつながらないという悲劇が待っています。

仕事は増えますが、給料は安いままです。

給料の低さは、労働者としての僕の貢献度の低さの反映でもありますが、
しかし、貢献してきたときに評価してもらえず、
病気の結果、僕自身が貢献しにくかった時に、評価の見直しが行われたという、悔しさもあります。

好きなことをして、好きなように働いてきた僕の給料が安いのは、当然でしょうか。

過去にはもっとええ加減な勤務や社会貢献しかできていないにもかかわらず、
時代が良かったがために高給取りであったごくつぶしが何人もいました。

でも安月給は人生の失敗の表れでしょうか。

金銭にとらわれる人生は寂しいものでしょう。
でも少ないのも寂しいよね。

僕は僕の声が負け犬の遠吠えであることをとりあえずは認めようと思います。
でも、そのうえで、僕の生きている意味、生きてきた足跡の意味、
そして(それほど長くはないと思いますが)これからできるかもしれないことの意味について、
考えていきます。


ほとんど愚痴でした。でも愚痴りながらも

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。