アル症と肝硬変、腐れ縁は死ぬまで、リスボン、58歳。
本日もリスボンの、反省?・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
最近、再飲酒欲求もほぼなく、生活も順調です。
でも、もしかするとそんな時に落とし穴があるかもしれません。
そこで、僕が依存症であることを確認するために、振り返りをしましょう。
僕は肝硬変診断の寸前のころには、
単体としての酒が美味い!と信じていました。
単体としての酒が美味い!と信じていました。
俺は飲料としての酒が好きだから、コーヒー好きがコーヒーを時間の制限をそれほど気にせず楽しむように、
飲みたいときに酒を飲むと考え、朝であろうが昼であろうが、飲んでいました。
飲みたいときに酒を飲むと考え、朝であろうが昼であろうが、飲んでいました。
もちろんその光景は、非飲酒者や普通の飲酒者から見れば、異常なものであったことは間違いありません。
でも僕は、純粋に味わいを楽しむために酒を飲むと信じていました。
50㏄程の焼酎をコップに入れ、ほぼ同量のミネラルウォーターを注ぎ、ぐいっと飲む、
これが僕の朝のみ、昼のみのスタイルでした。
これが僕の朝のみ、昼のみのスタイルでした。
僕の場合、おそらくは幸いなことに、ブラックアウトまで飲み続けるというタイプの飲酒者ではありませんでしたので、
くいっと飲んで、仕事をしてました。
くいっと飲んで、仕事をしてました。
ホンマに美味しいと信じていたのです。
でも考えてみると、美味しいから飲みたくなったのではないですよね。
飲む動機がホンマに美味しさにあるのであれば、飲まなくてもいられるはずです。
我慢できるというか、次に食べたり飲んだるする時が楽しみになるはずですよね。
我慢できるというか、次に食べたり飲んだるする時が楽しみになるはずですよね。
でも僕は、飲む、と思ったら、間違いなく飲んでいました。
おそらく飲まずにはいられなかったんだと思います。
おそらく飲まずにはいられなかったんだと思います。
理由ははっきり言えばありません。
辛いことがあったから飲んでいたわけでも、1日お疲れさんで飲んでたわけでもありません。
今でははっきりとわかります。
僕の脳君が、体中に「酒を飲め!」という、強制的な指令を出していたにすぎません。
僕の脳君が、体中に「酒を飲め!」という、強制的な指令を出していたにすぎません。
僕は、患ってしまった僕の脳君の患った指令ゆえに、焼酎の水割りをあおっていたのです。
精神的なプレッシャーから飲んでいたのではない、したがって味わっていたのだ、
という解釈は、とんでもないペテンだったのです。
精神的なプレッシャーから飲んでいたのではない、したがって味わっていたのだ、
という解釈は、とんでもないペテンだったのです。
僕は僕自身によって飲まされていたのです。
これを使用障害、あるいは依存症というのですよね。
断酒が安定していると、ほんの一瞬、悪魔のささやきがよぎります。
たまにはご褒美もよかろ、という、根拠のないささやきです。
たまにはご褒美もよかろ、という、根拠のないささやきです。
僕の中にはまだ悪魔がいます。
いや、この悪魔は、ずーっと居続けるでしょうね。
いや、この悪魔は、ずーっと居続けるでしょうね。
この悪魔をおとなしく黙らせておく、やっぱり僕たちの生活は静かな戦いですね。
負けません、絶対に。
ということで