アル症、肝臓病、頑固じいさん、老化? リスボン、融通の利かない58歳。
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今日も、最近よく耳にしたり目にする、気になる言葉について。
「・・・に寄り添って・・・・。」
多くの人びとが発言されるようになってきた決まり文句の一つのようです。
たいがいの場合、何らかの被害や不利益を被った人びとに対して、
その人たちの目線に立ち、その人たちの立場を尊重して対応していくという、
一見、やさしさに基づいた言葉のように聞こえます。
その人たちの目線に立ち、その人たちの立場を尊重して対応していくという、
一見、やさしさに基づいた言葉のように聞こえます。
寄り添う、確かにソフトな印象を与えますが・・・・
寄り添うという言い方に、寄り添った後どうするかということについては、特に言いませんよ、
という冷たさを感じてしまうのは、僕のへそ曲がりな深読みでしょうか。
という冷たさを感じてしまうのは、僕のへそ曲がりな深読みでしょうか。
被害にあっている人や不利益を被っている人たちにとって本当にしてほしいのは、
具体的な解決につながるようなアクションのはずです。
具体的な解決につながるようなアクションのはずです。
しかし寄り添うという言い方には、
気持ちはあなたたちの側に置きますよ、
しっかり側にいますよ、
しっかり側にいますよ、
といっておきながら、
精神面ではあなたたちの側に立っていますから、それでよしとしてね、
という言い訳にも聞こえてしまうのです。
という言い訳にも聞こえてしまうのです。
それともう一つこの言葉で気になるのは、
寄り添う、といっておけばとりあえずの免罪符になると思われている節がありそうなことです。
僕の理解がへそ曲がり過ぎることを望みますが、
一部の政治家にこの言葉を使われると、
言葉の値打ちが貶められるような気がするんですね。
空気を読むという言葉と同じような、表面的な正義の強制性が感じられて仕方がありません。
一部の政治家にこの言葉を使われると、
言葉の値打ちが貶められるような気がするんですね。
空気を読むという言葉と同じような、表面的な正義の強制性が感じられて仕方がありません。
あと、寄り添うという、若干、身体接触を連想させるような感覚も、気になります。
これ以上書くと、かなり嫌な奴になりそうなのでこの辺りまでにしますが、
やっぱり気になる、無視できない、気持ち悪さがあります。
やっぱり気になる、無視できない、気持ち悪さがあります。
ま、とにもかくにもいつものように