僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

十二年籠山行に学ぶ (ナンチャッテ)

飲酒歴40年、断酒歴8年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、老いてますます学ぶ・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

僕は神様の存在は固く信じていますが、

特定の教えに拘るつもりはありません。

神様という超越的なご存在に対して我々人間が何かを申し上げることは、

できないし、するべきではないと思っています。

 

それでも仏教の教えには惹かれる部分が少なくありません。

もっとも仏教が宗教かどうかということについては、

異論もありそうです。

少なくとも実在の仏陀であったゴータマ・シッダルタの説いた教えは、

広い意味での哲学といってもよいように思います。

 

ですが、東アジアの文化圏に生まれ育ち、そして生活している者としては、

仏教の教えが一番、しっくりくるように感じています。

 

今日の午前中ですが、拙宅の前の道の、

拙宅の敷地との境界部分の掃除を行いました。

来週の日曜日に、自治会の掃除があるのですが、

その前に自宅の前くらいは自分で片づけておこうと思ったからです。

今日は気温も高かったため、いいプラクティスにもなったようです。

 

さてその掃除の最中ですが、勝手にとある仏教の修行を想像しながら進めました。

比叡山延暦寺の修行としては、千日回峰行がよく知られています。

7年間、合計千日間をかけて、比叡山中の礼拝ポイントをめぐりながら、

合計、地球1周分に相当する距離を歩くという、荒行です。

 

延暦寺にはもう一つ、厳しい修行がありますが、

それがタイトルにも書きました、十二年籠山行です。

延暦寺の開祖、最澄が祭られている浄土院で行われている修行で、

十二年間にわたり、定められた結界から一歩も出ずに、

あたかも最澄が今でも生きているかの如くお仕えする行です。

 

千日回峰行が動の荒行とすれば、

十二年籠山行は静の荒行と言えるでしょう。

十二年籠山行中の修行僧の一日は、こと細かくお勤めや作務が定められ、

その精神的な負担は、常人の想像を超えるもののようです。

中でも浄土院境内の清掃作業は、相当に厳しい行だということです。

 

延暦寺 浄土院

 

今日の僕は、大変、厚かましいこととは思いますが、

道路の掃除を行いながら、

少しだけ自分を十二年籠山行中の修行僧になぞらえながら作業を行いました。

十二年籠山行における清掃作業においては、チリ一つ、雑草の一掴みも許されないそうです。

 

以前の僕であれば、作業をできる限り効率的に遂行するために、

ついつい、力任せに作業を進めようとして、荒い仕事をしてしまっていましたが、

今日の僕は、常に十二年籠山行に挑戦中の侍真の僧の苦労を念頭に置きながら、

焦らず、ゆっくり、確実に作業を進めました。

 

たとえゆっくりであったとしても、確実に作業は進みます。

確実に仕上がっていく作業結果をゆっくりと確認しながら、

焦ることなく、そして必要以上に身体に負担をかけることなく、作業を行いました。

一回で処理しきれない作業は二回に分けて行えばよいのです。

実際の作業結果は、遂行に必要な時間はそれほど変わらず、

しかし作業の仕上がりのクオリティーは、確実に上がっていました。

 

思えば、高齢者になってようやく気付かされたことが、たくさんあります。

若者には未知の可能性が溢れていますが、

高齢者には、それまでの積み重ねの中から学ぶ力が与えられるようです。

 

社会の慣習に従って労働の世界からは引退を強いられましたが、

しかし生きざまを学ぶという点においては、

まだまだ学びの道の半ばにあります。

酒なぞを喰らって、心身ともに無駄な負担をかけている暇はありません、ハイ。