僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

朝鮮人の高齢者?

蒸し暑いっす、皆さん、お元気ですか。
アル症・肝硬変のくせして、リスボン、58歳、厚かましくも元気です。

本日もリスボンの、問題発言?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


僕は、自分が高齢者になりつつある、あるいはもうなってしまっているにもかかわらず、
高齢者が苦手です。

っていうか、むちゃくちゃ本音を言うと、キライです。
自分がそうなりつつあるにもかかわらず。

何が嫌なんだろう。

もう、小さいころからそうでした。

今は仕事の関係で小休止していますが、芸術と福祉という僕の研究テーマの実践活動の一つとして、
高齢者施設でのレクリエーション・サポート・ボランティアの活動もしていました。
ピアノを弾きながら、デイサービスを利用しているジィちゃん、ばぁちゃんたちと歌を歌うという活動です。
その活動中も、高齢者は少し嫌いでした。

でも、小さいころは、もっと嫌いでした。

普通、こどもにとって、じいちゃん、ばあちゃんって、好きな人たちですよね?
でも僕は、ホンマに嫌いでした。

多分、小さいころの記憶が良くないのだと思います。

僕の父方のハルアボジ(祖父)は、僕が小学5年生の時に、脳溢血で亡くなりました。
僕の知っているハルアボジは、脳溢血で一度倒れた後のハルアボジだそうで、静かな方でしたが、
おやじをはじめ、いろいろな親族の話を総合すると、
大酒のみでわがまま勝手な、めんどくせぇオッサンだったようです。

一方、父方のハルモニ(祖母)は、僕たちが結婚してしばらくしてから亡くなりました。
この女性が、またハルアボジにわをかけてめんどくさいご婦人だったようで、
僕も彼女の異様な立ち振る舞いについては、知っています。

僕の父方のご先祖は、プサンの北部にあるとある山村のヤンパン(両班 韓国朝鮮の支配階級)だったらしく、
日本にわたってからのハルアボジもハルモ二も、そのヤンパン感覚が抜けず、周囲の人びとを召使だと思っていたようです。

また朝鮮半島では、儒教の精神が極度にゆがめられた形で守られてきましたので、
たとえアホでもボケでも、長男およびその配偶者のいうことは絶対でした。

おそらく僕の知らないハルアボジは、傲慢な人だったのでしょう。
加えて、大酒のみだったということで、過度の飲酒が脳溢血の原因であったことはほぼ間違いないと思います。

そしてハルモニは、無理やり日本に連れてこられたということもあったらしく
(どうやら、ハルアボジによって買われた花嫁だったらしいで、年も離れていたようです。)
日本語のたどたどしさと妙な被害者意識、そして不思議な姫様感覚ゆえ、
親族のみならず、多くの人びとと円満な人間関係をもつことができなかったようです。
また彼女も、大酒のみではありませんでしたが、酒癖は悪かった。

僕の歪んだ高齢者観は、幼いころにそのような祖父母の理不尽な行動を見聞きしたことに基づいているのかもしれません。
さらにはそのような理不尽さに対して誰も逆らうことができないというさらなる理不尽さを強要されていたことも、大きな原因でしょう。

いい、悪いは別にして、僕の人格形成にとって、在日の家に生まれたことが、
否定しようのない大きな意味をもっています。
しかも僕が幼いころの僕の一族は羽振りが良かったこともあって、その記憶は倫理的な不信感とともにマンガチックな映像感覚で僕の記憶の深層に刻み込まれてしまったようです。

僕のこどもたちが、パートナーのご両親に対して、ジィちゃん、ばぁちゃんと慕っていた姿を見るにつけ、
僕の幼いころの体験が、どちらかといえば不幸な体験であったことを知ることになりました。

今僕は、こどもたちにとって、かつてのハルアボジやハルモニのように映りつつあるのではないかと、恐れています。
おそらくそんな一面ももった、めんどいじじぃになりつつあるんでしょうね。

こどもたちに媚びようとは思いませんが、韓国・朝鮮の家の一族のいやな面は、僕の代で断ち切ろうと思います。


少し重たい、そして陰鬱な話でごめんなさい。

最後はいつもの通り、

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。

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