僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

飲み続けた理由

ふざけた法律、共謀罪には負けません、アル症・肝硬変男、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、振り返り・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


もう7月も半ばです。
毎度のことですが、早いですね、光陰矢の如し、Time flies.
ついこの間まで、大雪に文句を言っていた気がしてましたが…

楽天的に理解すれば、生活がうまくいっているから時間の経過が早く感じるんでしょうね。
ホンマ、お金の問題以外は、特に不満はありません。

あえて罰当たりにも不満を言えば、
なぜもっと早く、この断酒ライフに入ることができなかったのか、ということです。

もっともこれは、鶏と卵のパラドックスに陥ってしまいます。
断酒ライフに踏み切れなかったから、アル症なのですから。


おそらく断酒を継続している僕を見て、アルコール依存症についてあまりよくご存じでない方は、

「たまに飲むのは構わないのではないですか、お体の調子もよさそうですし。」
といって、勧めてきそうな気がします。

そう、僕もたまになら、いいのかなと思います、たまになら。

でも、そのたまにができないのが僕たちなんですよね。

普段は酒を飲まずに、何か特別なことがあるときにお酒を飲む、
多分、これが一般的な楽しみ方なんでしょう。

しかし僕は、かなり若いころから、そんな飲み方は想像すらできませんでした。

酒が飲めないかもしれない外泊は、考えられませんでした。

旅行先でも、まずはその日のアルコールの確保を第一に考えて行動してました。

スペインのグラナダでは、駅からホテルに向かう途中で東洋系の方が経営している酒屋があり、
ジョニ黒が驚くほど安かったことに小躍りしました。

そう、僕たちは何か理由があって酒を飲んでいたのではないのです。

酒は美味しい、ホンマにそう思っていました。

酒は楽しい、これもホンマにそう思っていました。

酒を伴う交わり、これに勝る楽しさなし、こちらもホンマにそう信じていました。

でも、今となってはわかります。

全部、後付けの理由です。

酒を飲まな、我慢できなかったんです。
脳みそが酒のことしか考えなくなっていたのです。
脳みそだけではなく、全ての神経系、そして神経系の支配下にあるすべての消化器系、運動器系に、酒を唯一の行動原理として動くようなプログラムが染みついていたのです。

問題飲酒行動が顕著になったのは、50歳になってからですが、
こうやって振り返ってみますと、僕は習慣飲酒を始めた18歳の時から、アルコール依存症だったようです。

心理的にも生理的にも酒に支配された生き物、アルコール依存者。

僕たちアルコール依存者は、他の薬物依存者と何ら変わるところはありません。
違うとすれば、比較的容易に、依存物質を断ち切ることができることでしょう。

覚醒剤依存者に比べれば、僕たちの闘いは、勝利に近づきやすいといっていいでしょう。

断酒ライフの楽しさを満喫しましょう。

そのためにも

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。