僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

孤独に飲むというわがまま

知らん間に断酒ライフも1年7か月を経過していました。
どうやら安定しているようです、アル症・肝硬変、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、やっぱり振り返ろう・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


断酒ライフ新人選手の頃は、
何日、あるいは何か月といった、切りのいい期限を一つの目標にしていました。
そしてホンマの初期には、3か月も夢のような目標であり、ましてや半年、あるいは1年なんて、
絵に描いた餅とまではいわないにしても、かなりのハードルの高さだろうなと思っていました。


ところがこの頃、断酒ライフの継続期間について、ほとんど意識することがなくなりました。
僕の断酒ライフ入門日が1月19日ですから、毎月19日にはもう少し意識してもいいのかもしれませんが、
ホンマに何らかのきっかけがない限り、意識することがほとんどなくなっています。

おかげさまで、断酒ライフの安定的継続期にあるようです。

ただし、いつも書いていますが、油断は禁物です。

そこで、自分自身の依存症について、振り返っておこうと思います。


何度か書いたことがありますが、
僕の飲酒スタイルは、よく言えば一人静かに楽しむタイプでした。

家のみが基本でしたから、家計に著しく打撃をもたらしてもいませんでしたし、
家族にくだを巻いて迷惑をかけることもほとんどなかったと思います。

今、断酒者になって振り返ってみると、
一見、迷惑度の少ないように見えるかつての僕の飲酒スタイルは、
しかし、かなりはた迷惑なものであったことが今はわかります。

まず、静かに飲んでいましたが、静かに飲んでいたということは、
外部からの刺激を拒否していたということの裏返しでもあります。
つまり飲酒中の僕は、鎧をまとった上に自分の周りに壁までこしらえていたのです。

家の中に静かに酒だけを飲む、でっけぇ塊がいる、
しかもこの塊は、一応世帯主だったりするので、どうしようもできない、
かなり迷惑な塊だったのです。

そして静かではありましたが、
この塊の周りだけ、いやぁな匂いが充満していたようです。

かつて喫煙家であった僕は、
ノンスモーカーとなって始めてスモーカーがむっちゃクチャくさい連中であることを知りました。

おそらく飲酒者は自分が嫌なにおいの発生源であることを自覚することはないでしょう、少なくとも飲酒中は。

つまり、家の中で一人で静かに飲んでいる、実はこのこと自体が、むちゃくちゃ、はた迷惑な行為だったのです。

誰にも迷惑をかけずに飲んでるんじゃい!というかつての強がりは、
実は全くのウソだったのですね。

僕は酒乱の気はありませんでしたが、酒乱とは違う意味で、めんどくせぇ奴だったんです。

あのめんどくささを思い出しましょう。

もし一口でも口にしたら、僕はあのめんどくせぇ、タダのうっとおしい塊に変身してしまいます。

そうならないためにも、

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。