僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

多動性人格障害?

飲酒歴40年、断酒歴2年と5か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、今さらジロー・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。



何回か報告しておりますように、
僕はADHD(注意欠損性多動障害)の疑いがあります。

もちろん、診断をいただいたことはありませんし、
医療的に明確な診断が下されるには、微妙な状態です。

ただ、過去の様ざまなことを思い返してみると、

多動性人格障害っぽい性格というか性向のために、
いろいろな人に迷惑をかけたやろうなぁ、と思います。


例えばふと思い出したのですが、
もう16年も前の話です。

僕の勤める大学の開学10周年記念ということで、
いろいろなイベントを次から次へと開催した年がありました。

そのクライマックスとしまして、
世界中のアマチュア映像作家に呼びかけた映像コンクールがありました。

そしてそのゲストとして、
フィリピンのドキュメンタリー映画監督をお呼びしたことがあります。

彼の名は、キッドラット・タヒミックといいまして、
「虹のアルバム」という超長編ドキュメント映画が有名です。


タヒミックにはちょっとしたスピーチと映像パフォーマンスのご披露をお願いしました。

そして僕の役割は、通訳です。


夜中の関空までタヒミックご一行をお迎えに行き、
会場の設備を案内し、
宿舎までの送迎も僕の車で行いました。
そう、あのカローラ32万キロ君です。

そして本番の日を迎えました。

タヒミックのスピーチとパフォーマンスに向けて多くのスタッフが持ち場をしっかり守りながら準備を進めています。

その時の僕の立ち振る舞いは、
今となって思えば、多動性障害の持ち主の行動そのものであったような気がしますs。

せっかくスタッフたちが十分な打ち合わせの後に行ってくれた準備の一つ一つについて、
それぞれの部署にお任せすればよいものを、
ゲストの通訳を務めているという特権的な役割を拡大解釈して、
一つ一つにいらん口をはさみ、
その場で即興的に勝手な調整を行っていたのです。


もちろんその時の僕には、
悪気は全くありません。

ただ、無秩序に、
あれもしなあかん、これも確認しとかなあかん、
と次から次への思いつき、
じっとしていることができなかったのです。


自分の役割の範囲を理解できない、

ほかのメンバーの入念な打ち合わせに気が向かないというか、敬意を抱かない、

まさにADHD的感性、爆発でした。



優秀なスタッフたちの事前の素晴らしい準備がありましたので、
VIPゲストをお呼びしてのイベント、成功裏に終わることができました。

しかし、僕が僕のやるべきことだけをやってじっとしていれば、
もっとスムーズに進んだような気もします。


今さらなのですが、反省します。

そして今後は、
あ、やばい、
俺の多動の虫が騒ぎ出したと思ったときには、

このエピソードを思い出してブレーキをかけるようにします。

頑張ります。
ハイ。


誰にでもできることができません、でもできるように心がけます。

ですので、お許しくだせぇ、

ということでいつものように

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。