僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

墓の話

飲酒歴40年、断酒歴8年と6カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、これも季節だより?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

昨晩は11時前には就寝しました。

僕が寝た後に、大阪に行っていたパートナーと長女が帰ってきました。

という訳で昨晩は二人と会っていません。

 

今朝の僕は、いつも通りの早起きで、7時半までには毎朝のルーティンを終えていました。

腹筋プラクティス、朝食、朝食の後片付け、そして洗面です。

長女が帰ってきており、彼女の寝室は僕の練習室の真上にあるので、

彼女が在宅している時の早朝のピアノ練習は控えています。

 

7時半になっても、二人とも起きてきません。

別にそれはどうでもいいのですが、

ふと思いついて、車で5分ほどの所にある、

僕の家族側の墓掃除に行くことを思いつきました。

どうせ行くのであれば、朝早い時間の方がいいですもんね。

 

早朝の霊園、僕と同じようにお墓の手入れに訪れている方々が何組かいらっしゃいました。

「おはようございます」、「早くからお疲れ様です」。

互いに声を掛け合い、爽やかな感覚で夏の一日を始めることができました。

 

さて、こんな風に書き進めると、

僕がお墓を大事にしているかのように読めるかもしれません。

僕が今朝、掃除に行ってきた墓には、

一応、4人のお骨が納められています。

僕の父方の祖母、二人の兄弟、そして僕の母親です。

 

この墓は、僕たちの元々の棲家であった下田を引き払ったときに、

親父が建立しました。

ですので、墓碑銘は、僕の旧名で「○○家の墓」となっています。

 

ハッキリ言います、僕は別にこの墓に入るつもりはありません。

ていうか、そもそも、死んだ後、墓に納められるという感覚自体が僕にとって無意味です。

もし法律が許してくれるのであれば、

そして僕の後に残るであろう僕の家族が構わないのであれば、

琵琶湖に散骨してくれれば、一番、嬉しいです。

でも、燃えるゴミの日にゴミとして出してもらっても構わないか。

 

僕はもちろん、死後の世界の存在なぞ、これっぽちも信じていません。

僕は死んだら、僕という存在の全てはなくなります。

それだけです。

死んだ後に、残った人びとに面倒をかけるわけにはいきません。

 

ですので、墓なんてものは、どうでもいいです。

無くてもいいです。

 

じゃ、なんで、墓掃除なぞという所帯めいたことをしてきたのかというと、

手入れをしないと、霊園の環境維持に申し訳ないだろうなという気もちくらいですね。

あとは、たまには世間じみたこともしておいた方がいいかなという、

生活の知恵でもなし、見栄でもなし、

敢えて言えば、お盆だしというくらいの、年中行事の確認くらいですかね。

 

琵琶湖が一望できる霊園です

罰当たりと非難されるのであれば、それもよし、です。

早朝の霊園は爽やかでしたよ、それだけで十分でしょ。