僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

千の風

飲酒歴40年、断酒歴6年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、多分罰当たり・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

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写真は、拙宅の近くにある霊園で、琵琶湖を見渡すことができます。

僕の親父が建立した墓がここにあり、

僕の母親と、二人の弟が葬られています。

 

墓碑には○○家の墓と刻まれていますが、

○○は現在の僕の姓ではありません。

僕とパートナーは、入籍した時には国際結婚でしたので、

パートナーも僕も姓を変える必要がありませんでした。

僕は日本に帰化した際にパートナーの姓を名乗ることにしました。

 

今日、ふと思いついて、弟たちが葬られているこの墓の掃除に行ってまいりました。

ホンマの思いつきです。

昼食時にふと見た、滋賀県が誇るイギリスのテレビ局の放送で、

この霊園の CM が流れているのを見たのが、きっかけといえばきっかけでした。

BBC びわ湖放送のことです)

 

墓の周りに生えていた草を引き、

墓石の表面と刻まれている文字の彫り筋の汚れを落とし、

水をかけて、最後にさっと古タオルで拭いてきました。

特に丁寧に仕上げたわけでもありませんので、20分くらいの作業だったと思います。

 

お線香をあげることも、手を合わせることもしませんでした。

多分、不埒で不作法な奴ということになるんでしょうね。

亡くなった家族に対して、一切の礼を払わない。

もっと言えば、誰がこの墓に葬られているのか、メンテナンスの最中は考えもしませんでした。

 

以前は、お墓の前では少なくとも手を合わせるくらいの、もう少し常識的なふるまいをしていました。

でも今では、全く関心が無くなりました。

そこに死者がいるわけでもありませんし、

ましてや死者の魂が千の風になってそこに帰ってくることがあるわけでもない。

そもそも、生物たるもの、死んでしまえば、唯の物質、時間の経過とともに朽ちていくだけです。

 

僕自身は、死んだ後にこの墓地に葬ってほしいとは、つゆほども思いません。

その時に残ってくれた家族にとって一番、負担が少ない、

そして反社会的ではない方法で、処理してもらえればそれで十分です。

 

僕の考え方、感じ方は極端でしょうけど、

でも墓地、霊園という場所、そして墓標というオブジェは、奇妙なものです。

その場にも、そのモノにも、死者と直接かかわるものはないはずです。

でも人はその場所やモノに、特別な意味を見出し、その意味に従って振舞います。

 

とてつもなく嫌な言い方をすれば、自分自身に対する無理やりな意味づけであり、

そして他者の目、世間の目を気にする行動なんでしょうね。

 

歌の趣旨とも異なるとは思いますが、

亡くなったものはそこにはいないのです。

心身ともにダメージを受けた経験からあえて確認します。

生きる意味、そして死ぬ意味は、自分自身が考え、感じてさえいれば十分。

誰かの目を気にする必要はないでしょう。

僕は僕の意志で僕のために生き続けます。

生き続けるために断酒ライフを継続します。